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真田丸感想42話「味方」⑤幸村の勝算

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前回、幸村に作兵衛という味方が新たに加わることとなりました。

幸村は秀頼に呼び出され秀頼の正室である千を紹介されます。
秀頼は千の父が徳川秀忠であると同時に千は豊臣家の者として秀頼に付いて来ることを約束していると伝えます。

あたし死ぬのかしら?

あたし死ぬのかしら?

その横で千は目を大きく見開き全身に緊張を走らせます。その様子を見て取った幸村は千に話しかけることが出来ずにいると、それに気付かず秀頼は「左衛門佐。母とも諮ったのだが、そなたは長年、父に仕え我が母の覚えも良い。是非、豊臣の総大将になってはくれぬか」と言います。これに幸村は「滅相もない事でございます」と断ろうとしますが横に居る修理が「お味方の殆どは関が原以来の牢人達。余程しっかりした人物が上に就かねばまとまりが付きませぬ」と後押しをすると秀頼が「左衛門佐をおいて左様な者が他に居るだろうか」と更に畳み掛けて来ます。幸村も秀頼にそこまで言わせたのであればと「恐悦至極に存じます」と答えます。

幸村「総大将になりそうだ」内記「やりましたな!!殿も草葉の陰で喜んでおりますぞ」盛親「お主等きれいに咲くのだぞ」

幸村「総大将になりそうだ」内記「やりましたな!!殿も草葉の陰で喜んでおりますぞ」盛親「お主等きれいに咲くのだぞ」

幸村は総大将に任じられたことを内記に報告すると「それは誉れの限りではございませぬか」と喜びますが、当の幸村は「些か気が重い」と答えます。内記は「若殿ならきっと成し遂げられます。いやぁ目出度い。大殿に申し上げねば」と励ましの言葉を掛けると昌幸の位牌に報告へと向います。そんな二人の向こうでは相部屋の盛親が竹筒の水を庭に咲く花に掛けていたのですが、二人の話が漏れてくるのを聞いていた盛親も「総大将。是非ともお引き受けなされ」と声を掛けます。
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盛親は部屋に入り腰掛けると「やはり戦は柱になる者がおらんと、儂なんぞはとうに戦の仕方も忘れてしもうたわ」と笑います。幸村が「これまで何をなされていたのですか」と聞くと「京の町で寺子屋を開き子供たちに読み書きを」と答えます。幸村が「そうでしたか」と言って頷くと「長宗我部家再興のため嘗ての家臣に背中を押され此度の戦に加わったが」そう言うと顔を幸村に近づけるとやや小声になって「儂は本来、戦が嫌いでな」と言います。

そんな泥棒みたいな髭してるのに?

そんな泥棒みたいな髭してるのに?

幸村は驚き「そうは見えませぬ」と言いますが盛親はしかめ面をして「この顔で誤解されがちだが儂は肝の小さな男でな。実は其方と相部屋になってほっとしておるのだ。部屋が広くて些か淋しかった」と胸中を告白すると「全く、そうは見えませんでした」と幸村は鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔をして答えると「上に立ってくれる者が居ると実に助かる」と盛親は頷きながら言うと幸村は驚きから立ち直れずに首を縦に振るのでした。

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全登「神々よ我らを守りたまえ・・・」盛親「やだ、隣の人怖い・・・、この悪魔めが!!とか言って襲い掛かって来ないだろうな」


大阪城で軍議が開かれる事となり主要な牢人たちが集められ、各自各々に軍議が開かれるのを待ちます。全登は祈りを捧げながら待ち、盛親は怪訝な表情で横目で様子を伺います。同じように幸村も待ちますが、そこへ一人の男が話し掛けてきます。男は言います。
「それがし加藤嘉明様の下で鉄砲大将を務めておりました塙 団右衛門でござる。以後、お見知り置きのほど」と挨拶をすると「こちらこそよしなに」と幸村も応じます。団右衛門は「剣術の腕は今ひとつながら、戦の時は欠かせぬ男でございます」と言いながら取り出した小袋から小さな木札のようなものを取り出して手渡します。

幸村(その内に夜露死苦とか書いて来そうだな・・・)

幸村(その内に夜露死苦とか書いて来そうで怖いな・・・)

その木札には「塙 団右衛門参上」と書かれていました。団右衛門は幸村の後ろに座ります。
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塙団右衛門は言っていた通り加藤嘉明のもとで供小姓として仕え始め、やがて一千石の扶持を受け、二百人の兵を預るまでになっています。加藤嘉明の下を離れたのは関が原の戦において足軽大将として出陣。その際に敵を欺くようにとの指示を無視して正面から敵を打ち破るも、帰陣後にそれを叱責されたのを不服として、戦が終わり帰還した後に屋敷の柱に「遂不留江南野水 高飛天地一閃鴎」(かもめは江南と言う小さな水に留まることなく天高く飛ぶ)と書き残して加藤家を立ち去ったと言います。そんな団右衛門ですが勇猛であることは知られており各大名より仕官の声が掛かったそうなのですが、例によって加藤嘉明が「奉公構」を出したことで牢人暮らしを続けざるを得ず、やがて喰うのにも困る事となった団右衛門は洛西妙心寺に坊主として入り鉄牛と称していた事もあると伝わっています。
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そうこうしていると修理が「右大臣様のおなりです」と声を掛けると皆が一斉に平伏します。秀頼が現われ、修理の「それではこれより軍議を始める」と開始が告げられると又兵衛が立ち上がると「その前によろしいか」と発言します。治房は又兵衛に飛び掛り抑えようと身構え、修理は又兵衛を嗜めますが秀頼は「治房。構わぬ」と又兵衛の発言を許します。又兵衛は腰を下ろすと修理に向って「我々は皆、豊臣家の御為に馳せ参じた者ばかりでございます。皆、徳川に歯向かった為に禄を失い。そして皆、殿様をお守りしたい一心でここに集い申した。思いは一つ、となれば昔の身分、禄高、しがらみなど一切なくして貰いたい。禄を失えば皆、牢人。そんな事で差を付けられては堪らん。それだけは言うて置くぞ」と述べます。これを修理は眉間に皺を寄せて口を引き結び聞きます。そこに横から有楽斎が「流石は黒田家随一の豪傑。後藤又兵衛殿。言葉の重みが違いますなぁ」と言います。修理は「ではこの儀は一旦預りまして吟味致します」と事を一旦は収めようとします。秀頼が其れで良いかを聞くと又兵衛は「異存はござらぬ」と受け入れます。
こうして軍議が開かれる事となります。
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修理は「では先ず、殿より采配を御預かりする全軍の総大将を選ぶ事とする。殿は左衛門佐殿を御望みである。御一同、それでよろしいな」と確認を取ると又兵衛は再び立ち上がり「不承知」と否認します。
又兵衛は言います。
「我等は真田に使われる為に入城した訳ではない」
幸村は「私も総大将になりたい訳ではござらん」と言い話を続けようとした所で「ではご辞退なされるよ」と勝永が話の腰を折ろうとしますが幸村は「しかしながら我等は其々に腕はあっても、まとめていく力がなければ徳川には勝てませぬ。大局を見る事の出来る誰かが上に立つ。それによって何倍もの力を得ることが出来るのです」と続けます。又兵衛は「だから、それが何でお前なのだ」と根拠を求めると「私には二度、徳川勢と戦い。二度勝ちを手にした武功がござる。徳川の戦を熟知しております」と幸村が答えると、勝永が「確かに上田城の話は聞き及ぶ。しかし、初めの戦いは今から三十年も前の話。お主は二十歳にもならぬ若造であった筈だが」と痛い所を突いて来ますが「早熟でござった」と返すと更に勝永は「その時は旗を振っていただけという噂もあるが」と隠し持っていたネタで追求しますが幸村は「噂は噂」と断固として認めません。これには背後から失笑の声も聞こえて来ており、幸村に分が悪い状況となります。そこで端に座っていた全登が「真田殿こそが総大将に相応しいと存ずる。真田殿の下ならば兵たちも喜んで戦う筈」と真田の名声によっての兵の士気向上を理由に幸村を推すと又兵衛は「後から来た者に従うことはない」と入城の順番を理由に断ろうとします。有楽斎が「まあまあ御一同、そう、いきり立たんでも宜しかろう。と落ち着いて話そうではないか」と感情的になることを諌めようとすると又兵衛も分が悪いと見たか「総大将には、もっと相応しい方が居られる。長宗我部殿はどうじゃ」と言うと「えっ」と盛親は突然の推薦に驚きますが又兵衛は続けて「盛親殿は四国を斬り従えた。長宗我部元親殿のご嫡男。まさしく大大名である。国衆上がりの真田なんぞとは比べものにもならぬ。総大将には相応しいのは盛親殿だ」と以前の実績を理由に推薦しますが「そういった事に拘るのを嫌われたは何処のどなたでござったか」と全登は又兵衛の一貫性の無さを責めると又兵衛は言い返せずに黙り込みます。そこで幸村は「修理殿。如何なさいますか、ご裁定はお任せ致します」とここで判定を願い出ます。
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これに有楽斎も「もう決めてしまわれよ」修理の裁定を促すと「それでは、この件は一先ず預り」と保留にしようとしますが勝永が「預る時が何処にある」そう言うと立ち上がり「敵は直に攻めて来る。今ここで決めて頂こう」と決断を迫ります。その迫力に修理は気圧され秀頼の方を見ますが、秀頼も明快な答えを持つには至っていないのか困惑の表情を浮かべます。それを見て取った幸村は「分り申した。ご辞退仕りまする」と言うと秀頼は「すまぬ・・・」と答えます。これに幸村は「このような事で和を乱していては戦に勝てませぬ」と正に秀頼が幸村に強引に決めることの出来なかった理由を理解している事を伝えます。しかし、これは盛親が総大将になっても同様である事が言える為「では、拙者もお引き受け致し兼ねる」と盛親も辞退を申し出ます。又兵衛は「ならば、総大将は立てず。其々が死力を尽くし徳川と戦うのみ」と、どうやら又兵衛には場当たり的に突進してしまう傾向のある発言をします。今回はその突進力が裏目に出てしまい場が静まり返ると幸村が沈黙を破ります。「私に一つ。策がございます」と献策を願い出ると、困惑を隠し切れないままの秀頼が「申してみよ」と幸村に発言を促すと「誰か一人が際立ってしまうと、却って角が立つ事が分り申した。されど勝つ為の戦をするには、やはり大将は欠かせませぬ。10万の兵を5つに分け、其々に大将を置き、その上に総大将として右大臣秀頼公御自らが立たれるというのは如何でしょう」と述べます。秀頼公は「良い考えじゃ」とこれを受け入れます。
幸村は「如何かな。後藤殿、毛利殿」と反対派の二人に聞くと勝永は「それならば」と受け入れ、又兵衛は「勿論、その中に我々も入っておろうな」と自分の位置を確認しようとすると、これは修理が「では、その儀は一旦、預って」と保留しようとしますが「お主は一旦、預らねば何も決められぬのか」と又兵衛は一喝します。修理は「重要な案件故しかと吟味の上で」と反論しますが勝永が「今、ここで決めて頂こう」と反対派の自分と又兵衛にとって不利な状況になる事を避けようとします。そこで幸村が「例えば、こうしては如何かな。私に、毛利殿、長宗我部殿、明石殿。そして後藤殿の五人」と案を出すと又兵衛は「良かろう」と頷き、他の者も頷きます。修理は「では、今後は、この五人衆の合議によって事を決めて行くとする。秀頼様」と案を受け入れ、秀頼に承認を求めます。秀頼は眉間に皺を寄せたままではあるものの無言で頷きます。それを見た修理は先が思いやられると大きなため息を吐いて「次の詮議に参ろう」と軍議が続けられる事となりました。

又兵衛と勝永は連携を組んでいますが、全登は幸村方、そして盛親は中立となれば、合議を進めるにあたって幸村が不利な状況に陥ることも無く、その上で大将を決める軍議では要所要所で幸村が事を決める主導権を持った形で進められたことを考えると悪い流れではないように思えます。
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軍議が終わった後、幸村と内記で自室に引き上げる渡り廊下の途中で内記は「いやぁ、これでは先が思いやられますなぁ」と自分の頭を撫でながら言うと幸村は立ち止まり庭を眺めます。内記は続けて「牢人達は皆、己のことしか考えておらんし、修理殿には、それをまとめる力が無さそうです。秀頼公は気丈にして居られたが如何せん、まだお若い。牢人達の勢いに目を丸くされて居られた」と述べるのを幸村は笑顔を浮べながら頷きます。内記はそれを見て訝しげに「口元が笑って居られますが、何がそんなにおかしいのですか」と幸村の顔を覗き込んで聞きます。幸村は「確かに牢人衆にまとまりはない。だが、それは、各々が、自分の行く末に望みを持っているからこそ。あの者達は、今の境遇から這い上がろうとして、ここに集った。無理やり駆り出された徳川の兵達とは、そこが違う」と兵の士気の問題に於いて豊臣方が優位性を持っている事を見抜いたことを伝えます。これに内記は音を立てて自分の頭を抑えて驚きます。幸村は「この戦、十分、勝てる」と言い口元に笑みを浮べるのでした。
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真田丸42話「味方」感想おわり
真田丸感想一覧

真田丸感想42話「味方」②部屋を移らせて頂きますの巻

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前回、幸村が大阪城に入った事の挨拶が一通り終わりました。

幸村に付いて来た春ときり達は荷物の整理をします。
春は「ここで一同暮らすのですね」と言いながら持って来た着物を取り出します。それを聞いていたきりは「ありがたいと思わないと、むかし木曽義昌様の人質になった時はもっとひどい扱いでしたから」と言うと春は男性遍歴の多い女友達の自慢だかグチだか分からない話に相槌を打つように「色々な目に遭って来られたのですね」と言うときりは「場数だけは」と遠い目をして答えます。
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大助は内記と相部屋となり、内記が片付けをしている側の縁側で大助は竹水筒の中身が無くなり残念そうにしていると、内記が「若・・・。城の中を探索して来ては如何かな」と勧めます。大助が「城の中を」と聞き返すと内記は持って来た荷物の中から数冊の本を取り出して「儂は旅の疲れが出たようでござる」と言うと本を枕にして眠ってしまいます。
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大助は早速、内記のことを幸村に報告します。
大助は「随分と疲れた様子でした」と言うと「あれも、かなりの歳だからな。知らせてくれて助かった。もう一人傍にいて私の力になってくれる者が欲しいな。三十朗は兄上にやってしまったし・・・」と悩んでいると大助は大阪城を見上げており大助は意外とマイペースです。幸村が「大きいだろう」と聞くと大助は「天にも届きそうです」と言って城を見上げています。幸村は「太閤殿下が築かれたのだ」と教えます。「太閤様はどのようなお方だったのですか」と大助が聞くと「あの天主よりも、もっともっと大きなお方だった」と言って幸村も城を見上げます。
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そこへ「真田左衛門佐だな」と言って又兵衛と勝永が現われます。
幸村は大助を部屋に戻すと二人に近付くと「後藤殿。以前どこかでお会いしたような」と聞きます。三成の屋敷が襲撃された折に黒田長政の家臣だった又兵衛と会っているのですが又兵衛はそれを知ってから知らずか「いや、初対面だ」と答えますが幸村は「いや、どこかで」と「いや、会った事などない」と段々と又兵衛がむきになってきた所で勝永が「もう良かろう。話が先に進まぬ」と話を進めるよう促します。又兵衛は「左衛門佐。どれだけの戦上手か知らんが後から来た奴に大きな顔はして欲しくない」と言います。幸村は又兵衛の立つ高さと同じ一段高い所へ上り敷居を跨ぐと「大きな顔をしている積りはないが」と言って座敷に座ります。又兵衛と勝永も幸村に向き合う形で座ります。勝永は「早速、秀頼公とも会ったらしいな」と言います。幸村が「幼子の時分から存じ上げているもので」と答えると「元が大名だろうが、なかろうが、そんな事は関わりねぇ。要は次の戦でどれだけの働きが出来るか、それだけだ」と啖呵を切ります。幸村は「私も同じ思いだ。因みに私は大名ではない。大名並みの禄は頂いていたが、正しくは太閤殿下の馬廻衆でござった」と訂正します。又兵衛は「それにしても部屋が広いじゃねえか。俺達は相部屋で我慢してんだ。何でこうも扱いが違うんだ」と突っかかると幸村は「私が望んだ事ではない」と返します。ここで又兵衛が勝永に「おい、どう思う」と加勢を求めますが「部屋なら俺も一人部屋だ」と答えます。又兵衛は驚きますが「これでも一万石を領した大名だったんでね」と伝えます。「聞いてねぇぞ、俺は相部屋で我慢してるんだ」と又兵衛が言いますが、勝永はそんな事は知ったことかと言わんがばかりに「お主とは格が違う」と言い放つと又兵衛は売られた喧嘩は買うぞと「抜かしたな」と言うが早いか殴り掛かりますが、勝永も歴戦の武将ですのでこれを躱します。勝永は幸村を壁にして又兵衛と向き合い、又兵衛は「おい、格が違う。おい」と禄が違うなら腕っぷしで勝負しようと勝永に掴み掛かろうとします。間に挟まれた幸村は「まあまあ」と二人の仲裁を行う事となりますが、流石は又兵衛です。幸村の仲裁を潜り抜けて勝永の袖を掴むと勝永も腕を掴み返すと組合い、その二人の間に幸村は強引に入って二人の諍いを必死に止めるのでした。

幸村「実家に帰られて頂きます」修理「ここはあなたの実家ではありがませんがね」

幸村「実家に帰らせて頂きます」修理「ここはあなたの実家ではありがませんが案内しますよ」

結局、幸村はこれ以上言い掛かりを付けられてはたまらんと一人部屋から相部屋への変更を願い出る事となります。
修理は「誠によろしいのですか」と幸村を案内がてら確認しますが「私、一人が贅沢する訳にはいきません」と答えます。修理は「実を申せば大変、助かるのです。あの部屋が空くだけでもう十人は賄えます故」と嬉しそうに言います。幸村が「牢人はまだまだ増えていると聞きました。大変な事で」と労を労うと「嬉しき悲鳴でござる」と修理は立ち止まり幸村に向き合いますが幸村も立ち止まり修理の方に向き直ろうとして背負った木箱を柱にぶつけます。それを見た修理は声を出して笑うと「こちらです」と案内を再開します。
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相部屋の相手は長宗我部盛親でした。同部屋である事を告げられた盛親は開口一番「何故、相部屋なのだ。話が違うではないか」と抗議します。修理は「当初の見積もりより多くの牢人が集まったのです。お察し下さい。では」と特に取り合う事もなく、その場を切り上げてしまいます。盛親が「おい」と呼び掛ける声も無視されてしまいました。幸村の苦難は続きそうです。
修理が立ち去った後に盛親が居心地が悪そうにしていると幸村は「よろしくお願い致します。真田左衛門佐と申します」と挨拶をします。横を向いてそれを聞いた盛親は驚いた表情を浮かべると幸村に向き直り「長宗我部土佐守」と名乗ります。幸村は「長宗我部元親様のお身内でいらっしゃいますか」と聞き返すと「元親は父でござる」と頭を下げます。幸村は見た目が山賊の類かならず者の風情で、泥棒のような髭をした男が意外にも名のある礼儀を持った人間であることに安心したのか「以後、ご昵懇に」と頼み、守親も一人部屋で無くなったことに抗議していた手前からしまったという表情を浮かべながらも幸村の申し出を断ることが出来ないのでした。
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長宗我部盛親は、長宗我部元親の四男にあたります。大阪城に入った牢人たちの中で改易前の石高は最も高く土佐浦戸に二十二万二千石を持っていました。関が原の戦いでは西軍に付くも毛利軍の後ろに位置していたため戦う事なく土佐へ帰っています。その後は懇意にしていた家康家臣の井伊直政を通じて家康に恭順の意を示していましたが、その時に家臣より腹違いの兄である津野親忠が藤堂高虎と結び土佐を支配しようとしているという讒言を聞き入れてしまい謀殺したことが家康の耳に入り兄殺しと怒りをかった事から領地没収となっています。
その後は京都に出ると大岩裕夢と名を変えて寺子屋を開いての収入と旧家臣達の仕送りで糊口を凌いでいたと言われています。
もちろん危険人物として京都所司代の板倉勝重の監視下に置かれていました。
大阪から盛親は戦勝の暁に土佐の一国を与えるという約束によって立ち上がったと言われています。
盛親が大阪から出陣する様は絵巻物のようであったと残されています。
盛親は寺子屋から供二人を連れて甲冑姿で騎馬に乗って町に乗り出しすと途中から多くの武士が加わり寺町今出川付近の辻に来た時に、その数は二百から三百の数となっており、伏見に来る頃には千騎程に膨れ上がっていたといいます。そのため板倉勝重が盛親立つの報を受けた時には時既に遅く、板倉の手勢では討ち取ることが出来ない規模になっていたと言います。その上で部下たちには古強者も少なくなく、戦いぶりは山猿の如く矯激だったと言います。
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又兵衛は勝永と一人部屋か相部屋かの諍いの後は部屋に引き上げると、相部屋の全登が神に祈る声を聞きながら酒の飲みます。
全登は熱心なキリシタンでした。家康は当時の慶長十七(1612)年に幕府領で禁教令を発すると翌年にはこれを全国に広めました。対して秀頼は家康との対決を予想してのものかキリスト教に対して寛容な政策を行ってきました。そのため全登指揮下には宇喜田家旧家臣団、キリシタン武士団とそれに加えてイエズス会、フランシス会、アウグスチノ会の外国人宣教師七名の率いる五千人が入っていたといいます。
そんな全登なので祈りの声は熱心なものとなります。
又兵衛なら全登にうるせぇ位は言いそうなのですが、もう既にやって無駄だと悟っているのか、それとも全登にそれを言ったが最後、殴る殴られ所ではなく本気で切り合う命懸けのものになりそうであることを察しているのか酒を飲んでいた又兵衛はやがて声のする方へ顔を向けてしかめっ面をしたあと無理やり目を瞑り寝てしまうのでした。

真田丸42話「味方」感想つづく
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