真田丸感想36話「勝負」②迎撃準備


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前回、家康の下へ信幸が合流しました。

上野 沼田城近くに昌幸と幸村が陣を取ります。
昌幸は「沼田の城を訪れるのも久し振りじゃ」と幸村に語り掛けている所へ大阪から脱出した稲とおこうと子供達がやって来ます。
稲から薫と春は吉継の下に匿われている事と自分は徳川家臣の娘である為、危険性の及ぶ可能性がある為に逃げてきたことが報告されます。
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昌幸は稲とおこう、孫たちを労います。幸村は昌幸たちの軍勢が沼田の城で一泊した次の日に上田へ入る予定である事を話します。稲は信幸がいない事に気が付き訳を尋ねると、昌幸が「源三郎はおらん」と言い幸村に目配せをして幸村は頷くと、昌幸と幸村は徳川に背き毛利方へ付く事。信幸は徳川に残った事が告げられます。
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「あの人らしい筋の通し方・・・」稲はそう言うと暫く考えた後に「お城にお越しなら夫に成り代わり私がきちんとお迎えせねばなりませぬ。支度を整えてお出迎え致します故、暫しのご猶予を頂きとう存じます」と伝えます。
昌幸はそれを了承して一時遅れて城へ向うと答えます。
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そして昌幸と幸村の軍勢が沼田城へ到着すると、戦装束を纏い薙刀を持つ稲が城門の上から現われると「これより一歩たりともお通しする訳には参りませぬ。我が殿。伊豆守は徳川方。ならば徳川に刃向かう者は全て敵でございます」と宣言すると、潜んでいた弓兵を出して射掛けようとすらします。
これに昌幸は「源三郎は良い嫁をもろうたのう」と笑うと引き揚げます。

因みにこの後に稲は沼田城の家臣から昌幸たちに寝返る者が出る事を案じて、皆を慰労すると家臣達の妻子と共に参加せよと宴会を開くと、そのまま人質にしたそうです。これ程の女性なので後に将軍となった徳川秀忠に直に意見したというのも頷ける話です。また、幾度にも渡って家康を酷い目に遭わせた昌幸と幸村の二人ですが、彼らが活躍すればする程に肩身の狭くなる信幸です。それでも無事に存続し続けることが出来たのはやはり徳川家康の養女であり、徳川四天王の一人である本多忠勝を父に持つ稲の尽力によるものも大きかったのではないかと思います。
本当に信幸は頼りになる良い嫁を貰ったと思います。
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その後の七月二十七日に昌幸達は上田に戻ると軍議を開きます。
今回の戦の前提条件として、
敵は徳川とそれに与する大名達である事。
上田城で戦うのは会津討伐に向かい三成と戦う為に戻ってくる徳川勢である事。

会津から小諸へ戻る徳川軍を討つ

会津から引き返す所を迎え討つ

更に幸村の口から徳川勢に信幸もいるであろう事が告げられます。
昌幸は「戦に情けは禁物じゃ。遠慮はするな」と皆に言いますが、暫くの沈黙の後に「まぁ、しかし・・・。多少は気に掛けろ」と言葉を続けます。
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元々は敵味方ではなく生き残り策として分かれているので信幸は敵ではありません。にも関わらず親子で刃を向かい合わせなくてはならないという点に昌幸と幸村、そして信幸の苦しさがあります。

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一方の徳川方では、
家康は信幸に宇都宮にいる秀忠に上田攻めを命じた事を伝えると、その先鋒を務めるよう命令されます。
家康は「儂はお前を信じるが、そうでない者も居るのだ」と伝えます。家康の傍に控える正純は横目で信幸の様子を観察します。
信幸は平伏したままそれを受けます。
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八月一日、信幸は沼田城へ入ります。
信幸の心情を察してか出迎える稲とおこうは無言で頷きます。
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昌幸の所へは三成から文が届きます。
内容は小諸と深志、川中島、諏訪。切り取り次第で真田の領地にしても良いというものでした。高梨内記は「随分と太っ腹ですなぁ」と驚きます。
しかし我等が昌幸先生の事なので足元を見れるとなれば三成と言えども容赦はありません。
甲斐と信濃の二か国を要求する文を返します。

良いではないか、くれてやれ

良いではないか、くれてやれ


三成は返された文を見て驚きますが、吉継は「良いではないか。くれてやれ」と言うと続けて「真田が信濃に居てくれるお蔭で徳川は全軍をこちらへ回す事が出来なくなる。案外、真田が要やもしれんぞ」と読みを語り、三成はそれを眉間にしわを寄せながらではありますが黙って聞きます。

三成が腹を壊していないかが心配です。
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後日、三成から返された文を見た昌幸は外に飛び出すと「よっしゃー」と快哉を叫びます。
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実際に昌幸は大きな功績を残します。これより後に昌幸の死後の大阪城での戦いの際に幸村が参軍した際に真田が城に入ったと聞いた家康は昌幸が入ったのかと報告者に確かめたという逸話が残ります。この時、家康は昌幸の死を知っていましたが、欺かれていたのではないかと警戒する程に昌幸は家康にとって脅威であったという事なのでしょう。実際に昌幸が家康と同程度の兵を持って戦わせてやりたかったと思う人は多いのではないでしょうか。

真田丸36話「勝負」感想つづきます。
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