西郷隆盛像

西郷どん5話「相撲じゃ!相撲じゃ!」を調べてみた①藩主もつらいよ

ドラマの場面
謹慎となっている正助の元へ糸が写本用の紙を差し入れます。一緒に来た吉之助も本を借りて来たと手渡し、中にある書籍「海国図志」に職務に戻るよう備えることが出来ると喜びます。既に許されることは確定事項で父親も喜界島から戻って来れると喜び、極限の貧乏生活もこれで終わりです。

貧乏になった正助
お由羅騒動の影響で父親が遠島となり、自分も藩の役職を解かれた上に謹慎となった利通は日々の食事にも事欠く有り様となり、実際に西郷や周りの人間達の援助を受けていたといいますから友達というのは大事なものだと思います。因みに渡されて喜んでいた「海図図志」は清国の魏源が書いた地理書となり、アヘン戦争の際に捕虜となったイギリス兵の口述を元にしたイギリスの事情なども紹介されています。藩主となった斉彬は既に世界を見据えています。必然的に家来となった自分たちも海外と向き合う事を要求されると考えれば当時の必読書であったのかもしれません。著者の魏源は阿片戦争ではイギリスの最下等の軍艦2隻に清国船団を壊滅させられた戦いに自身も参加しての経験から近代的軍備の重要性や富国強兵を訴えており、これは当時の幕府だけではなく吉田松陰など幕末の志士たちにも大きな影響を与えました。それは西郷たちも例外ではなかったのではないかと想像します。更に想像を膨らませると正助は今回の謹慎期間にこれ等の書物に触れることで後の幕末維新を成し遂げる思想を手にすることが出来たのかもしれない等と考えます。孔子風に言うなら小者が引き籠ると碌なことを考えずにどうせオナニーでもしている間に一日が終わるというのがオチですが、大者が謹慎によって引き籠ると大きな知恵を手にするのだから世の中は不公平なもんです。

ドラマの場面
斉彬が藩主となったことを喜ぶ吉之助達ですが水を差されるように斉彬がお由羅騒動で処分された斉彬派の人たちは許されず、斉興・調所派の人たちを処罰しないと知らせます。これで父が帰って来て貧乏生活もおしまいだと喜んでいた正助の母は倒れます。さよなら貧乏♪から、まだまだよろしくね、貧乏さん♪な大久保一家です。

一人立つ斉彬
嘉永4年(1851)5月16日
斉彬は薩摩藩全体に対して「専ら先代之規則に基き」という頭文を置いた上で斉興が引退し自分が新しい藩主となった事、藩政に意見があれば聞かせて欲しい、皆これからも職務に励むようにといった意味の布告を行います。因みに実際の西郷隆盛はこれを真に受けて農政に関する意見書を送ったことを切っ掛けとして斉彬の目に留まる事になりました。
斉彬と斉興は藩主の座を巡って争い、斉興は斉彬派の人材50余名に対して切腹、遠島、謹慎の何れかの処分を行っています。その後に斉彬は自らの人脈を駆使することで藩主の座を手にします。しかし、斉彬が薩摩で目にしたのは、藩の要職の全ては斉興・調所派の人間によって占められているという現実でした。加えて、前回にも述べましたが斉興は藩主の座に居座るべく驚異的な粘りを見せていたのですが、これは言い換えれば粘れるだけの権力を彼が持っているという事です。更に斉興は斉彬が実権を握った事によって自分を粛清対象にすることを疑い、それが確信に変わった時に起きるのは残る権力と今も重職に残る斉興・調所派の人間を率いて強制的に斉彬を藩主の座から引きずり落とそうと動く筈です。従って斉彬が旧斉興・調所派の人間を一掃したのに対抗して斉興を担ぎ出して御家騒動が再び起きた時に分かるのは斉彬に味方する人間の殆どは粛清されていなくなっているという現実です。そのため彼が取れる選択肢というのは現状維持位しか残されていなかったというのが現状です。その並々ならぬ苦労が頭文の「専ら先代之規則に基き」という部分に表れていると感じます。

筆者の感想
斉彬が世子として届け出られたのが4歳。藩主を継いだのが43歳。通常であれば藩主を相続するのが20歳程度の頃と考えると、それを更に23年も過ぎてから、しかも親子で争い漸く藩主となった結果が現状と考えると余りにも酷い仕打ちだと思わずにはいられません。しかし藩主となった斉彬の視線は世界に向いていました。今後、薩摩は欧米列強と渡り合っていかなければならない。そういった危機感から斉彬の頭の中には、これから薩摩をどうしていくかだけではなく、日本をどうして行くべきなのかという構想も既に頭の中に描いていたのではないかと思えます。そう考えると案外と本人にとって斉興派や調所派といった区分けは些細な問題であったのかもしれません。

西郷どん5話「相撲じゃ!相撲じゃ!」を調べてみた終わり。