真田丸感想24話「破滅」④鷹、落ちる

2016-06-26 02.55.00

昌幸達は忍城を石田三成に任せ鉢形城を陥落させて八王子城へと向かう途中で秀吉からの文を届けられます。
秀吉からの文の内容は、八王子を上杉に任せて忍城へと戻るようにという内容でした。4日で忍城を落とすと豪語した三成ですが8日が経過した現在も苦戦しているようです。後にこの戦は三成が戦下手と言われる所以ともなりました。
昌幸は「つまらん戦じゃのう」と文を丸めて床に投げ捨てます。
小田原城も未だ陥落しておらず昌幸が「氏政は粘るのう」と独り言のように呟くと昌相に「お主、氏政が羨ましいようだな」と見抜かれるように言われ「あやつは己の為の戦をしておる」と答えます。

2016-06-26 02.57.26
天正18年(1590)7月5日
北条が降伏します。

2016-06-26 02.58.05
秀吉本陣にも北条降伏の旨が伝えられます。
秀吉の「長かったのう」という言葉は紛れもない本音なのでしょうね。
家康は北条の処罰について
・氏政、氏直の命を救う
・小田原城を受け取る
以上の条件にて問題がないかを秀吉に確認すると「氏政は死んでもらおうか」と言い出します。これに家康、吉継、幸村とで氏政助命の説得を行いますが秀吉は聞き入れません。
小田原城明渡しが済んだ後に氏政は切腹となることが決まりました。
2016-06-26 02.59.50
この辺は北条の手強さを考えれば致し方ない面もあるのかと思います。
小田原城と言えども21万の兵に囲まれて3か月も籠城を成立させる手腕を持っている氏政の手腕が秀吉に脅威と受け取られたのだと思います。更に家康と縁戚関係にもあり、両者が手を組んだらと考えれば今後の為に滅ぼしておきたいというのが秀吉の気持ちだったのではないかと思います。

2016-06-26 03.04.00
7月10日
遂に氏政は髷を落として秀吉の軍門へと下ります。
その氏政と会った家康は「随分とお粘りになられましたな」と声を掛けると氏政は「そうやすやすと天下は渡せん」と応えます。誇り高い人のままです。
家康は氏政の手を握り命を必ず救うと伝えますが、氏政はこれ以上関わると家康に災難が降り掛かるとこれを拒みます。

家康はいったん下がると、その先には景勝と昌幸がおり、今度は三人で氏政の説得にあたります。家康は再び氏政に生き延びて欲しいと考えており、それが三人の総意であることを伝えます。
しかし氏政は三人が来たことに対しての礼を述べても、生きたいとは言いません。

 

2016-06-26 03.06.51仲間としての景勝の説得
景勝は「儂も髻を切る。儂等一同その覚悟で殿下に申し上げる所存」とまで言います。それを聞いた昌幸の表情が打ち合わせなしの発言を思わせますが、昌幸がそれを拒むことを言わず無言の内に了承します。氏政は景勝に「寧ろあなたに伺いたい。秀吉の為に生きるのでござるか。それでよろしいのか」と問い掛けます。景勝は何も答えることが出来ません。

 

2016-06-26 03.09.46同志としての昌幸の説得
昌幸は「死にたければ死になさい。生きておればまだまだ楽しいもの見られますぞ。このまま秀吉の天下が来るとは到底思えん、ここにいる誰もがそう思っている筈。そうではござらんか」と家康の目を泳がせる程の発言をします。続けて「もうひと暴れ、したいとは思いませんか」それを聞いた氏政の唇の端は微かに持ちあがりますが「お主等の働き、あの世でしかと見物させて頂こう」と答えます。

 

2016-06-26 03.11.02友人としての家康
家康は各々の説得への対応から氏政の意思が揺るがぬものである事を思い知ります。
惜しむ気持ちのまま「ここまででござるか」と発する言葉に、氏政は、力強く「ここまでで」と言いますが続く「ござる」という言葉は掠れます。

 

2016-06-26 03.14.29翌日、北条氏政は切腹しました。
最後に湯飯を喰い死への淵へと歩む氏政の表情は心なしか満足気なものに見えました。

北条氏直は出家した後に高野山へと送られました。

こうして北条家は滅亡しました。
2016-06-26 03.13.07

7月12日
武蔵の忍城は小田原が落ちて尚この城は抗い続けます。
北条に忠義を尽くし悉く討ち死にをする覚悟の為です。
昌幸が一計を案じます。
2016-06-26 03.18.10
7月14日
忍城が開城となります。

これにて小田原征伐が完了しました。

続きます。

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