真田丸感想32話「応酬」③家康と三成の籠絡比べ

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前回、幸村に三十朗と言う助っ人が上田からやって来ました。

三十朗歓迎の宴が終わった後にも幸村と信幸が膝を突き合わせて飲み。昌幸は縁側で背中を向けて飲みます。三十朗は幸村の後ろに座ります。
幸村が「こう様の一件は結局、どうなったのですか」と聞くと信幸は「それが意を決して舅殿に話そうと思ったのに」と言うと昌幸の方を向いてから「徳川様暗殺の騒ぎに巻き込まれて立ち消えとなった。明日、徳川屋敷に呼ばれておる。もし会えたら、話してみる積りだ」と意を決します。また幸村は正信が伏見在住の大名を集めて頻繁に宴を開いている事が気になると信幸に語ります。

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大阪城では寧々と茶々、阿茶の局の三人でお茶をしています。
阿茶の局は「これからは徳川内府が要となって豊臣家をお守りして参ります」と語り、寧々は「ありがたいことです。ねえ」と茶々に振ると徳川様なら安心ですと答えます。阿茶は「内府ひとりで決められれば万事捗りますのに、石田治部様がどうしても加わりたいと」と言い「佐吉がそんなことを」と寧々が聞くと阿茶は大きく頷き「殿下のお葬儀が決まらぬのも、そのせいのようでございますよ」と報告し、その横では控えるきりが聞き耳を立てます。
きりは幸村に聞いた話の内容を報告します。

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寧々は家康と話します。寧々が「殿下のお葬儀の日取り、いまだ決まっておらぬそうではないですか」と問い質すと「某も、そこの所は気になって折り申す」と家康は答えると寧々は「このままでは殿下がおかわいそうです」と嘆きます。家康は「石田治部にも何をもたもたしておるのか、きつう叱り付けて置き申しまする」としたり顔で言うと寧々は頷きます。

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次は幸村から報告を受けた三成が寧々に会いにやって来ます。
三成は「それは違います。殿下のご葬儀は海を渡った兵が全てこちらに戻ってからと決まっております」と真っ向から否定します。それを聞いた寧々は「左様でしたか」と困惑します。更に三成は「内府様もご承知の筈ですが」と畳み掛けると、寧々は「何を信じたらよいものやら」と表情を曇らせます。

寧々に対する籠絡戦が始まっています。実際に寧々は重要な人物です。従一位を授けられた肩書きだけではなく、寧々は秀吉の打ち出した人質政策の中に於いて大名妻子の養育という重要な役割をこなして来た人物です。徳川秀忠も12歳の頃に人質として出されていますが、寧々は秀忠を実の子のように可愛がった事から二人の交流は長く続きました。他にも親類の子であった小早川秀秋、加藤清正や福島正則を引き取り育てても来ました。実の子が無かったせいもあってか寧々はこれ等の子を実の子のように慈しみ、彼等もまた特別な愛情を感じていたようです。
家康の着眼点の鋭さは当時、豊臣家臣団の中に存在した三成等の文治派と清正等の武断派の対立軸の中において、家康が武断派を取り込むにあたって主要な人物である加藤清正、福島正則、浅野幸長等が寧々に近しい人物であり、寧々を取り込むという事は武断派を取り込む事を容易にするという事を理解していた点にあるのではないかと思います。

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そして幸村は茶々の方へ三成が秀吉の葬儀を遅らせているという誤解を解きに向かいますが、茶々は「私は別に構わないのです。葬儀などやってもやらなくても」と特に意に介していない様子です。それよりも秀頼の方が気になるらしく庭で且元と秀頼とで行う剣の稽古を見て「殿下が亡くなられてから、だいぶ大人びてきたような」と嬉しそうに言います。
続けて「左衛門佐、わたくしの頼みを聞いてくれますか」と言うと幸村に秀吉の遺体が安置された蔵への案内を頼みます。

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幸村が蔵へと案内すると茶々は息を漏らして笑います。
寧々は「ここは薄暗く、冷たく、かび臭い。あまりにも殿下にふさわしくないものだから」と取り繕うように言います。幸村は「暫くは、ここで辛抱して頂くより仕方ありませぬ」と言うと、自分の左手を見ます。その手は茶々に握られています。
二人は何も言わず秀吉の納められた壺を見るのでした。

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徳川屋敷では正信が大名たちを招待した宴席が開かれています。
正信は「さあ、方々、存分にお召し上がり下さいませ」と持て成し声を上げると招かれた正宗は「では、遠慮のう頂戴致そう」と答えると他の大名たちも杯を傾け、笑い声が上がります。
その中で信幸は正信に忠勝の所在を聞きますが留守であることを聞きます。正信が「何か」と聞きますが「別に・・・」と聞いた理由を濁します。
そんな中で正宗は「時に、太閤殿下について嫌な噂を耳にしたのだが。既に殿下はお亡くなりではないのか、と言う者がおる」と皆に語り掛けると場が静寂します。そして信幸に「伊豆守殿の弟御は確か太閤殿下の馬廻でござったな」と真相を聞きだそうとしますが、信幸は杯をかたりと音を立てて膳の上に置くと「そのような話は申しておりませんでした」と正宗を向いて答えます。すると正信が「折角の宴。もそっと明るい話に致しませぬか」と話題を変えるよう促します。正宗は自分の額を手で叩くと「とんだ不調法でござった」と笑い語をあげると「いやぁ、それにしてもこのなますは絶品じゃ。のう長宗我部殿」と応えて話題を変えると再び笑い声が戻ります。長宗我部は「土佐の取れたたての魚に比べるといささか味が淡白」と答えると正信が「お口に合いませなんだか」と聞くと「これはご無礼を、思った事をそのまま言うてしまう性質で」と言い訳にならならい言い訳をして両隣にさぁさぁと酒を勧めます。
因みに長宗我部氏は後の関が原の戦いでは西軍側に付いています。
正信は長宗我部の元を離れると今度は正宗の膳の前に座ると「ところで、伊達様の所には姫君が居られると伺いましたが、今おいくつで」と聞きます。正宗は黙って杯の酒を飲み干します。

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大阪城では長束正家が「この所、徳川屋敷では毎日のように昼日中から宴が行われているらしい」と三成に報告します。これを受けた三成は幸村に「どう思う」と聞きます。幸村は「私の兄も昨日、そこに呼ばれました」と報告します。三成は「徳川め、大名たちを引き込む積りだな。負けてはおられぬ。我等もやろう」と宴を開くことを決めます。

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開かれた宴には、宇喜田秀家、小早川秀秋、長束正家、片桐且元が出席しますが、空席の目立つものとなりました。また、膳に出されたものも家康のものと比較すると大きく見劣りするものでした。この辺りからも三成の力の入れようが察せられます。

家康の宴で出されたメニュー

家康の宴で出されたメニュー


三成の宴で出されたメニュー

三成の宴で出されたメニュー。酒飲みには、案外こっちが良いのか?


遅れて三成と幸村が連れ立って現れますが、それを見た三成は「馴染みの顔しか居らぬではないか」と言います。幸村は「主だった大名たちには呼び掛けたのですが」と言うと秀家は「ここに居るのは豊臣家に忠義を誓った誠の侍達である。さあ、飲もうではないか」と呼び掛けます。三成は黙り席に座ると秀家が「さぁ!」と呼び掛けて杯を掲げると他の者たちも杯を戸惑いながらも上げると、そこへ細川忠興が遅れて来ます。正家は「細川越中守様、お見えでござる」と声を上げると忠興は「どちらへ」と聞くと幸村が秀秋の隣へと案内します。
そこへ秀家が早速、忠興の前に来ると「細川殿とは一度、ゆっくり杯を傾けたいと思っておったのだ」と言い座ります。その様子を見ていた幸村は三成に「ご挨拶してきては」と促しますが「後は任せた。部屋に居る」と席を立ってしまいます。忠興はそれを驚いた様子で見送ります。

しかし、淋しい乾杯時に秀秋だけは嬉しそうなのが印象に残りました。因みに秀秋は一説によるとアルコール中毒の気が有り、死亡したのもそれが原因だと言われています。それともしたら、秀吉の死後に家康は秀吉の遺言という事にして秀秋の領地を回復させているので既に家康に心が傾き三成の失敗を喜んでいるのかどうかは気になる所です。

宴は如何でしたか?

宴は如何でしたか?


その後に忠興が自分の屋敷に帰るとガラシャが三成の宴がどうだったかを聞くと「行って損をした。驚くほど淋しい会合だった」と不満そうに答えるでした。

因みに九州から帰った忠興は側室を持つと言い出してガラシャは離婚を考えるようになりますが宣教師にキリスト教では離婚が認められない為、困難に立ち向かってこそ徳は磨かれる等と説得されて離婚を思い止まったりしています。

真田丸32話感想「応酬」続きます。
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