真田丸感想37話「信之」④大阪での別れ

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前回、昌幸と幸村の二人は上田城を徳川に明け渡し高野山へと向う事となりました。

上田領は信幸へと与えられました。真田伊豆守信幸は九万五千石の領主となりました。信幸は家康の命により昌幸から受け継いだ幸の字を捨てる事となり信幸は改名します。新しい名は「真田伊豆守信之」読みは変わりません。信之の意地です。
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昌幸と幸村の二人は高野山に向かう道中で家康に呼ばれ大阪へと立ち寄ります。
家康を昌幸と幸村の二人が訪れると、家康は前に置いた脇息に前に肘を乗せると「儂はお前達を討つ首にする事も出来た。それをせなんだは、何故だと思う」と問い掛けます。
昌幸は信之と忠勝の命乞いのお陰であると答えます。
家康は続いて幸村に同じ問いを投げ掛けます。
幸村は「内府様はひょっとして、死よりも苦しい仕打ちを与えようとされているのでは」と答えると家康は声を上げて笑います。ひとしきり笑うと「安房守。戦には勝ったのに何故このような目に遭わねばならぬのか、さぞ理不尽と思うておろう。その理不尽な思いを更に膨らませてやる」そう言うと脇息を自分の横に音を立てて置くと「儂はお主から、一切の兵と、馬と、武具と、金と、城と、そして今後、戦に出る一切の機会を奪う。残りの人生を高野山の麓の小さな村の中で過ごすのだ。一、二年で帰って来られる等とゆめゆめ思うでないぞ。十年になろうが、二十年になろうが、お主は死ぬまで其処に居るのだ」そう言うと家康は立ち上がり昌幸の前に立ち、見下ろします。そして中腰になり昌幸の眼前で「この生き地獄、たっぷりと味わうが良い」と言い終わると、立ち上がり宙を見詰め「真田安房守。二度と会う事は無かろう」そう言うと笑い声を上げながら立ち去りました。その時、目の前の昌幸を再び見遣ることはありませんでした。

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昌幸と幸村も部屋を出て渡り廊下を渡っていると幸村を且元が呼び止めます。
且元は幸村に状況を教えてくれます。
・家康は関が原の戦いに勝利して秀頼公に戦勝の挨拶をした事
・関が原の戦いは三成が勝手に起こしたものになった事
・三成が全ての責を負ったお陰で多くの者は命拾いした事
・宇喜田秀家は今も行方不明となっている

当時、徳川方に取って関が原の戦いは三成征伐という意味合いが強い戦となりました。
徳川方に付いた大名達もそれを大義名分として徳川に付いています。従って徳川に付いた大名も家康に完全に忠誠を誓っている訳ではなく、三成を倒した後に徳川が豊臣に牙を向いた場合にどうなるかと言えば、徳川に付いていた大名達も豊臣方に付く可能性が高くなります。秀吉が作り上げた統治機構の強固さは当時の家康でも崩すのは難しいものでした。その為に家康は内部から侵食して行く事を選択したのではないかと思います。
(家康は今後の戦いを想定してなのか自軍兵力の殆どを温存し、関が原の戦いでは豊臣恩顧の大名同士に潰し合わせています)
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幸村は且元に連れられて寧々に挨拶をします。
九度山に流罪となった事を聞いた寧々は「弘法大師様の母御の居られた所やね」と言うと、且元が「弘法大師様がご母堂に九度、会いに行かれた故、九度山と呼ばれるようになったそうでございます」「あらそうかね」と言って寧々は且元の補足説明を笑顔で早々に切り上げさせます。秀吉が生きていれば「うるさい」とでも一喝されていそうです。
「これからは親孝行しやあよ。身内こそ大事にするもの。私は気が付いたらだ~れもおらんくなってまった」と珍しく零します。「秀頼公が居られるではありませぬか」と幸村が言うと寧々は笑顔ではいますが何も答えないでいると、そこへ秀秋が顔を出します。
秀秋がはにかみながら寧々の所へ行けずに居ると寧々が「こっち来やぁ」と呼びますが、幸村と且元がいるのに気付くと逃げるように何処かへ行ってしまいます。
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寧々は秀秋が戦から帰って来てからというもの誰にも会わないようになったと心配すると且元は「金吾(秀秋)様の裏切りがなければ石田治部は勝っておりました」と言い、秀秋が徳川と内通していた事を言います。
寧々は「悪い子ではないんだけどね・・・」と言い淀みます。
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その後、秀秋は二年程して謎の死を遂げたと言います。一説では秀秋は酒に溺れる傾向が有ったらしく死因としてはアルコールによる内臓疾患による可能性が高いと言われています。しかし関が原の戦以降、秀秋は裏切りを周囲から言われ続ける事となり、それが秀秋を酒に溺れさせることに繋がり死を早めたのではないかとも思います。他に秀秋は寧々から五百両にも及ぶ借金に加えて他の者へも借金を申し込んだりといった具合に、その生活は余りまともなものとは言い難いものであったようです。

寧々に関しては、この頃の立場は定まっておらず、関が原の戦いの直後には護衛されて勧修寺 晴子の屋敷で避難生活を送った後に京都新城跡地の屋敷に住まいを移すと秀吉の供養に専念したと言われています。

しかし秀秋の裏切った理由については、徳川が寧々の名前を利用して行っていたとも言われており、黒田長政と浅野幸長が秀秋を調略するにあたって「我々は寧々の為に動いている」と書かれた連書状を出しており、これは今も残っています。
ある時期から政治的な場面から身を引いた寧々ですが、本人の意思とは関係なく家康に利用される事となってしまっていたようです。

また、且元は豊臣を主には経済面から支えていくことになります。秀吉が秀頼を頼んだのは三成と且元です。残念ながら三成は家康を討ち損じましたが且元は三成亡き後も懸命に秀頼を守ります。
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次に且元は茶々の元へ訪れると大蔵卿局を通して幸村が大阪城にいる事を伝えます。
茶々が且元に幸村の行く末を尋ねると「父親共々、高野山に幽閉される由にございます。呼びまするか」と答えると茶々は「それには及ばぬ」と言って断ると大蔵卿局が「もう会う折はないかと」と翻意を促しますが「いいえ、あの者とは、また何れ会う気がします」そう言って微笑むと懐から山吹の押し花を取り出します。
以前、幸村の思い出と共に作ったものです。花言葉は「崇高」「高貴」「待ち焦がれる」です。
茶々にとって幸村と別れの言葉を交わすというのは有り得ないものであり、また幸村が再び茶々を訪れて来る確信があるのでしょうか、寧々はその時を心待ちにするような笑顔を浮べるのでした。

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一方で昌幸にも別れがありました。
薫は人質として扱われています。その元へ昌幸が訪れます。
薫は昌幸の膝の上に頭を置くと「薫は寂しゅうございました」と言うと昌幸が謝ります。
「好きな時に好きなことが出来ないつらさ。いつも誰かに見られている怖さ。薫はもう人質は御免です」そう言うと昌幸の手を掴み離さぬように抱え込みます。
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翌朝、悲しい夢を見たのか一筋の涙を流して薫は目を覚まします。
薫は布団を跳ね除けると「旦那様、源次郎」と言い障子を開け放つと二人の姿を探す為に駆け出します。しかし有る筈の姿は屋敷の何処にも見当たりません。
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やがて自分の置かれた状況を悟り嘆きます。
そこへ信之が現われると薫は信之に縋り、泣くのでした。

真田丸37話「信之」感想つづきます。
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