真田丸感想40話「幸村」①終わりの始まりの鐘


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前回、昌幸の死後も幸村の九度山幽閉が許されることはなく、真田紐を考案する事で幾許かの資金を得ることに成功した所で、幸村を宇喜田秀家の元家臣である明石掃部頭全登が訪ねてやって来ます。

幸村が明石を人目のない所へ連れて移動すると「どういうことだ」と理由を尋ねます。明石は幸村に間もなく大阪で始まる戦に豊臣方の将として一軍の采配を任せたい。
敵は「徳川家康」だと言います。
しかし、幸村は自分が囚われの身であることを理由に断り立ち去ろうとします。
明石は「会おうて頂きたい方がございます」と呼び止めます。
幸村は久方振りの宴会騒ぎに興じる家族たちを見詰めます。
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上野、沼田城。
信之は届けられた文に目を通すと「大阪は随分ときな臭くなってきた」と三十郎に言います。文は徳川秀忠から届けられたもので、江戸に来いという内容でした。
三十郎は「戦ですか」と聞きますが「そうならぬことを願いたい」と信之は答えて、文を畳もうとしますが途中で手から落としてしまいます。
信之は文を拾うと「手が滑った。直ぐに出立の支度じゃ」と取り繕うに言います。
三十朗は「はっ」と答えると支度の為に部屋を出て行きます。
残された信之は自分の手を見詰めます。
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幸村は明石に案内されて灯りも点けられていない屋敷へと案内されます。
暗闇の中で待つ人物は「左衛門佐殿。ご無沙汰致した」と声を掛けて来た人物は片桐且元でした。意外な人物に幸村は驚きますが且元に近付き「豊臣と徳川の仲は、それほど悪くなっているのですか」と聞きます。これに且元は僅かな間を置いて「最早、戦は避けられぬ」と言います。幸村は「豊臣家はお立場こそ弱くなったものの、未だ徳川と並ぶ力を持っているものと思うておりましたが」と現状を確かめます。これに且元が答えられずにいると明石が「何もご存知ないようです」と補足し、幸村が「ここに居りますと世の中の動きが全く入って来ませぬ」と言い訳します。且元は「では、かいつまんで」と説明しようとしますが「その前に、私はここを離れる積りはありませぬ」と断りを入れます。
「せっかく来たのだ。話だけでも聞いてくれると有り難いな」とやや裏返った声で且元は言います。せっかく来たのに無礼なと怒っても仕方ない所だと思うのですが、ここで押立に出ざるを得ない所に且元と豊臣の苦しさが表れます。
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幸村は頷くと且元に案内されて奥に通され、且元と対面して筵の上に座ります。
且元は「関が原で石田治部、大谷刑部等がああいう事になり、その後も加藤肥後守ら豊臣家の重臣が次々と世を去って、気付いたら秀頼公の傍にお仕えするのは儂だけになってしまった。事の発端は方広寺の大仏開眼供養。太閤殿下が進められていた大仏殿の造営は文禄の大地震で一旦は頓挫したが、秀頼公のお声掛かりで五年前から普請が始まった。
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今年は太閤殿下の十七回忌。是非とも、それに合わせて開眼供養を執り行おうというのが秀頼公のお考えであられた」と話します。幸村は「よく家康公がご了承されましたね」と驚きますが且元は「そもそも大仏殿を建て直すよう勧めたのは大御所様じゃ」
実際に豊臣恩顧の者達が世を去ってしまっているのは大きな問題となっています。慶長12年(1607年)には家康の次男として生まれ豊臣家の養子でもあった結城秀康が死亡。慶長16年(1611年)に五奉行筆頭であった浅野長政、五大老と五奉行との意見が合わないときの仲裁役として存在した三中老の堀尾吉晴と加藤清正が死亡。慶長18年(1613年)には武断派の重鎮である浅野幸長が死亡。慶長19年(1614年)には五大老の一人であった前田利長が死亡。
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家康の下を且元が訪れた際に「死者の供養こそが生き残った者の務めでござる。方広寺は元より京、大阪の寺社の修復は大いにおやりなされ」と伝えたのが発端であったようです。

これを聞いた幸村は「読めました。家康公の目論見は大阪城に蓄えてある金銀を秀頼公に使わせようというのでは」と家康の意図を見抜きます。且元はこれに苦しそうな顔をしながら「今から思えばそうなのだ」と答えると自分がまんまと家康公に乗せられたことを悔やみます。
更に、そんな折に鐘に刻む銘文を南禅寺の清韓という僧に頼む事となります。
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且元は清韓の仕上げた銘文に感心して秀頼公に見せて許可を貰いはしますが、家康からは格調が無いと言われ、文才のある者に書かせた方が良いと難癖を付けられる事となります。
清韓は南禅寺の長老で漢詩、漢文にも通じた当時の最高峰の人間でした。
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且元は清韓に対して銘文の作り直しを頼む事となります。
これに清韓は「無礼にも程がある」と激怒する事となりますが、どうにか作り直して貰える事となります。
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再び作り直された銘文を見た且元は「お見事でござる」と感心します。
清韓も「前のも悪いと思わぬが、これは会心の作」と自賛します。
且元が「ご苦労お掛け申した」と労を労うと「お気付きになられましたかな」と言います。且元が何のことかと聞くと趣向があると言います。
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銘文の中にある「国家安康の文字がござろう。国が安らかに栄えるという意味だが、よくよくご覧あれ、ここに家康の二文字が隠れておる。
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更にこちらの君臣豊楽。意味は皆が豊かに楽しく過ごすだが、見方を変えれば豊臣を君として楽しむと読めなくもない」と説明すると且元は膝を叩いて感心し、清韓もこれなら文句は無いだろうと笑みを浮かべ、終いには二人で今までの苦労は何だったんだろうなと言った風情で大笑いします。
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この銘文は家康の了解も得る事が出来、その二月後には高さ一丈七寸の見事な鐘が出来上がったと言います。

いよいよ大仏開眼供養が目の前に迫ったその時に家康から再び難癖が付けられます。
鐘に刻んだ銘文の中に自分に対する呪詛の言葉がある。「国家安康」という部分について、家康と言う自分の諱を二つに割るなど縁起でもないと。

真田丸40話「幸村」感想つづく
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