真田丸感想41話「入城」①後藤又兵衛の入城


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前回、豊臣と徳川の激突は避けられない状態となりました。
信繁は幸村と名を改めて大阪方に味方することを決意します。

紀伊 九度山村

幸村は家族たちに、近く豊臣と徳川の戦が始まる為、自分は九度山村を抜け出して大阪城に入り、徳川家康に一矢報いるつもりであると伝えます。
それを聞いた内記は「大殿が聞かれたら、どんなにお喜びか」と鼻をすすると隣にいるきりが懐から拭くものを手渡します。
幸村は内記に「力を貸してくれるか」と「佐助も」と頼むと二人は「喜んで」とこれを受け入れます。そして春ときりの二人を見渡して「お前たちにも苦労を掛けるが」と確認すると春は「もとより覚悟は出来ております」と答え、きりは「苦労。大好きですから」とこちらは良い笑顔を浮べて答えます。

苦労するのだーい好き!!

苦労するのだーい好き!!

あ、ああ、だが、それだけ喜ばれると逆に引いてしまうな

あ、ああ、だが、それだけ喜ばれると逆に引いてしまうな

幸村は家族に九度山村を脱出する策を説明を始めます。

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大阪城
こちらでは徳川との戦に備えて集められた牢人たちで溢れ返り、その中に又兵衛が現れます。
又兵衛は溢れ返り道に座り込んでいる牢人たちを「どけどけどけ」と退かしながら城の中を進みます。城では集められた牢人達の名前を登録しますが、そこに居る浪人も退けると自分が元黒田家家臣、後藤又兵衛基次であると名乗ります。すると登録人は横から名簿を取り出して開き確認すると、その中に又兵衛の名前が記されていました。登録人である木村長門守重成は「豊臣家のため粉骨砕身お働きお願いまする」そう言うと重箱を出して開きます。中には支度金の黄金が詰め込まれていました。
これを見た又兵衛は口の端を持ち上げて重成を見ます。
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大野治長は秀頼に報告します。
「後藤又兵衛は黒田家きっての名将。数々の戦で名を上げた剛の者でございます」
秀頼は「頼もしいな」とこれを喜びます。
続けて治長は「太閤殿下恩顧の者達が殿をお守りするため続々と駈け付けております」と言うと「亡き父上の名に恥じぬ戦をしたいものだ」と秀頼は答えます。
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実際に後藤又兵衛は有能な武将であったようです。そんな男が関が原で家康に付いた黒田家を出た理由は、黒田長政と又兵衛の不和にあると言われています。実際に長政が黒田家の家督を継いでから又兵衛は出奔しています。長政と又兵衛の逸話では、文禄の役で長政が朝鮮軍の敵将と組み合って川中に落ちた際、傍に居た又兵衛はそれを見ているだけだったそうです。近くにいる仲間が長政を助けないのか聞くと又兵衛はこんな所で死ぬようなら我が主ではないと答えたと言います。又兵衛が黒田家を出奔すると、その武勇を望んで福島正則や前田利長といった諸大名から声が掛かったそうなのですが黒田長政の出した「奉公構」という処置が為されている為に仕官が出来なかったが為に豊臣の声掛けに乗る事となったのでした。
因みにこの奉公構は武士の中で切腹に次ぐ刑罰にあたり、秀吉が始めたと言われています。このお陰で大阪牢人五人衆に数えられる突出した武将を秀頼は抱えることが出来たのですから縁とは不思議なものです。
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他に毛利豊前守勝永も大阪城に入ります。
こちらも大阪牢人五人衆に数えられる名将です。
元々、豊臣の家臣であり秀吉の形見分けの際には秀吉の刀を与えられています。
関が原の戦いに於いては前哨戦の伏見城の戦いで功績を挙げたものの本番である関が原の戦いでは毛利方の安国寺恵瓊の指揮下に入ってしまいました。この戦いで毛利は殆ど何もしないまま帰っている為、勝永も同様に戦いを終える事となりました。
その後、山内一豊に身柄を預ける事となり、大阪への入城にあたっては次男の鶴千代と妻と娘を人質として土佐に置いて来ています。
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駿河の駿河城
正純が「関が原で石田治部に加担し禄を失った者やこの機に乗じて栄達を望む者で大阪城は一杯だそうでございます」と報告すると家康は「愚かな事じゃのう。数を揃えた所で所詮は寄せ集め。烏合の衆では戦には勝てぬわ。秀頼も大人しゅうしておれば、どこぞの一大名として行き抜くことも出来たであろうに。寧ろ儂はそれを望んでおった」と言い訳をするように言うと正純は「御意」と頷くように礼をしますが、家康は畳を扇で叩き「何故に滅びの道を選ぶ。秀頼の周りには碌な家臣が居らぬようだ」と自分になぜ滅ぼさせるような動きを取らせるのだと嘆きます。正純は「片桐東市正が居なくなった今、大野修理が要となっているようです」と思惑通りに排除した片桐の居なくなった豊臣の体制を報告します。家康はそれを聞くと何度か小さく頷くと「時に、真田はどうして居る」と聞きます。「大阪に入ったという話は聞きませぬ」と正純が答えると「確か安房守は死んだな」と不安材料と成り得る昌幸の死を確かめます。正純が「数年前に」と同意します。併せて「息子は何と言うたかの、ほれ、父親と共に流された」と失念した幸村の名を聞くと「左衛門佐信繁でございます」と正純は名を答えます。
家康は「生きて居るのか」と嘗て自分に土を付けた男の息子が生きているのか確かめますが「恐らくは」とこれは正純も正確に掴んでいないようです。更に家康は思い出したように「九度山だったのう。見張りを増やせ。あれが大阪に入ったら面倒になる」と懸念材料となる男の監視強化を正純に命じると「直ぐに手配を」と急ぎ退出します。

九度山村
その頃、九度山村で幸村は村長の長兵衛の屋敷を訪れていました。
真田紐の売り上げが好調であることの感謝の意味で宴を開きたいと相談していました。
長兵衛は真田紐のお陰で村自体も潤ったと言いますが、幸村が「では、皆で思う存分に飲もうではないか」と言うと「いつに致しましょう」と日取りを決める事となるのでした。

真田丸40話「入城」感想つづきます
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