真田丸感想42話「味方」②部屋を移らせて頂きますの巻


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前回、幸村が大阪城に入った事の挨拶が一通り終わりました。

幸村に付いて来た春ときり達は荷物の整理をします。
春は「ここで一同暮らすのですね」と言いながら持って来た着物を取り出します。それを聞いていたきりは「ありがたいと思わないと、むかし木曽義昌様の人質になった時はもっとひどい扱いでしたから」と言うと春は男性遍歴の多い女友達の自慢だかグチだか分からない話に相槌を打つように「色々な目に遭って来られたのですね」と言うときりは「場数だけは」と遠い目をして答えます。
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大助は内記と相部屋となり、内記が片付けをしている側の縁側で大助は竹水筒の中身が無くなり残念そうにしていると、内記が「若・・・。城の中を探索して来ては如何かな」と勧めます。大助が「城の中を」と聞き返すと内記は持って来た荷物の中から数冊の本を取り出して「儂は旅の疲れが出たようでござる」と言うと本を枕にして眠ってしまいます。
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大助は早速、内記のことを幸村に報告します。
大助は「随分と疲れた様子でした」と言うと「あれも、かなりの歳だからな。知らせてくれて助かった。もう一人傍にいて私の力になってくれる者が欲しいな。三十朗は兄上にやってしまったし・・・」と悩んでいると大助は大阪城を見上げており大助は意外とマイペースです。幸村が「大きいだろう」と聞くと大助は「天にも届きそうです」と言って城を見上げています。幸村は「太閤殿下が築かれたのだ」と教えます。「太閤様はどのようなお方だったのですか」と大助が聞くと「あの天主よりも、もっともっと大きなお方だった」と言って幸村も城を見上げます。
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そこへ「真田左衛門佐だな」と言って又兵衛と勝永が現われます。
幸村は大助を部屋に戻すと二人に近付くと「後藤殿。以前どこかでお会いしたような」と聞きます。三成の屋敷が襲撃された折に黒田長政の家臣だった又兵衛と会っているのですが又兵衛はそれを知ってから知らずか「いや、初対面だ」と答えますが幸村は「いや、どこかで」と「いや、会った事などない」と段々と又兵衛がむきになってきた所で勝永が「もう良かろう。話が先に進まぬ」と話を進めるよう促します。又兵衛は「左衛門佐。どれだけの戦上手か知らんが後から来た奴に大きな顔はして欲しくない」と言います。幸村は又兵衛の立つ高さと同じ一段高い所へ上り敷居を跨ぐと「大きな顔をしている積りはないが」と言って座敷に座ります。又兵衛と勝永も幸村に向き合う形で座ります。勝永は「早速、秀頼公とも会ったらしいな」と言います。幸村が「幼子の時分から存じ上げているもので」と答えると「元が大名だろうが、なかろうが、そんな事は関わりねぇ。要は次の戦でどれだけの働きが出来るか、それだけだ」と啖呵を切ります。幸村は「私も同じ思いだ。因みに私は大名ではない。大名並みの禄は頂いていたが、正しくは太閤殿下の馬廻衆でござった」と訂正します。又兵衛は「それにしても部屋が広いじゃねえか。俺達は相部屋で我慢してんだ。何でこうも扱いが違うんだ」と突っかかると幸村は「私が望んだ事ではない」と返します。ここで又兵衛が勝永に「おい、どう思う」と加勢を求めますが「部屋なら俺も一人部屋だ」と答えます。又兵衛は驚きますが「これでも一万石を領した大名だったんでね」と伝えます。「聞いてねぇぞ、俺は相部屋で我慢してるんだ」と又兵衛が言いますが、勝永はそんな事は知ったことかと言わんがばかりに「お主とは格が違う」と言い放つと又兵衛は売られた喧嘩は買うぞと「抜かしたな」と言うが早いか殴り掛かりますが、勝永も歴戦の武将ですのでこれを躱します。勝永は幸村を壁にして又兵衛と向き合い、又兵衛は「おい、格が違う。おい」と禄が違うなら腕っぷしで勝負しようと勝永に掴み掛かろうとします。間に挟まれた幸村は「まあまあ」と二人の仲裁を行う事となりますが、流石は又兵衛です。幸村の仲裁を潜り抜けて勝永の袖を掴むと勝永も腕を掴み返すと組合い、その二人の間に幸村は強引に入って二人の諍いを必死に止めるのでした。

幸村「実家に帰られて頂きます」修理「ここはあなたの実家ではありがませんがね」

幸村「実家に帰らせて頂きます」修理「ここはあなたの実家ではありがませんが案内しますよ」

結局、幸村はこれ以上言い掛かりを付けられてはたまらんと一人部屋から相部屋への変更を願い出る事となります。
修理は「誠によろしいのですか」と幸村を案内がてら確認しますが「私、一人が贅沢する訳にはいきません」と答えます。修理は「実を申せば大変、助かるのです。あの部屋が空くだけでもう十人は賄えます故」と嬉しそうに言います。幸村が「牢人はまだまだ増えていると聞きました。大変な事で」と労を労うと「嬉しき悲鳴でござる」と修理は立ち止まり幸村に向き合いますが幸村も立ち止まり修理の方に向き直ろうとして背負った木箱を柱にぶつけます。それを見た修理は声を出して笑うと「こちらです」と案内を再開します。
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相部屋の相手は長宗我部盛親でした。同部屋である事を告げられた盛親は開口一番「何故、相部屋なのだ。話が違うではないか」と抗議します。修理は「当初の見積もりより多くの牢人が集まったのです。お察し下さい。では」と特に取り合う事もなく、その場を切り上げてしまいます。盛親が「おい」と呼び掛ける声も無視されてしまいました。幸村の苦難は続きそうです。
修理が立ち去った後に盛親が居心地が悪そうにしていると幸村は「よろしくお願い致します。真田左衛門佐と申します」と挨拶をします。横を向いてそれを聞いた盛親は驚いた表情を浮かべると幸村に向き直り「長宗我部土佐守」と名乗ります。幸村は「長宗我部元親様のお身内でいらっしゃいますか」と聞き返すと「元親は父でござる」と頭を下げます。幸村は見た目が山賊の類かならず者の風情で、泥棒のような髭をした男が意外にも名のある礼儀を持った人間であることに安心したのか「以後、ご昵懇に」と頼み、守親も一人部屋で無くなったことに抗議していた手前からしまったという表情を浮かべながらも幸村の申し出を断ることが出来ないのでした。
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長宗我部盛親は、長宗我部元親の四男にあたります。大阪城に入った牢人たちの中で改易前の石高は最も高く土佐浦戸に二十二万二千石を持っていました。関が原の戦いでは西軍に付くも毛利軍の後ろに位置していたため戦う事なく土佐へ帰っています。その後は懇意にしていた家康家臣の井伊直政を通じて家康に恭順の意を示していましたが、その時に家臣より腹違いの兄である津野親忠が藤堂高虎と結び土佐を支配しようとしているという讒言を聞き入れてしまい謀殺したことが家康の耳に入り兄殺しと怒りをかった事から領地没収となっています。
その後は京都に出ると大岩裕夢と名を変えて寺子屋を開いての収入と旧家臣達の仕送りで糊口を凌いでいたと言われています。
もちろん危険人物として京都所司代の板倉勝重の監視下に置かれていました。
大阪から盛親は戦勝の暁に土佐の一国を与えるという約束によって立ち上がったと言われています。
盛親が大阪から出陣する様は絵巻物のようであったと残されています。
盛親は寺子屋から供二人を連れて甲冑姿で騎馬に乗って町に乗り出しすと途中から多くの武士が加わり寺町今出川付近の辻に来た時に、その数は二百から三百の数となっており、伏見に来る頃には千騎程に膨れ上がっていたといいます。そのため板倉勝重が盛親立つの報を受けた時には時既に遅く、板倉の手勢では討ち取ることが出来ない規模になっていたと言います。その上で部下たちには古強者も少なくなく、戦いぶりは山猿の如く矯激だったと言います。
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又兵衛は勝永と一人部屋か相部屋かの諍いの後は部屋に引き上げると、相部屋の全登が神に祈る声を聞きながら酒の飲みます。
全登は熱心なキリシタンでした。家康は当時の慶長十七(1612)年に幕府領で禁教令を発すると翌年にはこれを全国に広めました。対して秀頼は家康との対決を予想してのものかキリスト教に対して寛容な政策を行ってきました。そのため全登指揮下には宇喜田家旧家臣団、キリシタン武士団とそれに加えてイエズス会、フランシス会、アウグスチノ会の外国人宣教師七名の率いる五千人が入っていたといいます。
そんな全登なので祈りの声は熱心なものとなります。
又兵衛なら全登にうるせぇ位は言いそうなのですが、もう既にやって無駄だと悟っているのか、それとも全登にそれを言ったが最後、殴る殴られ所ではなく本気で切り合う命懸けのものになりそうであることを察しているのか酒を飲んでいた又兵衛はやがて声のする方へ顔を向けてしかめっ面をしたあと無理やり目を瞑り寝てしまうのでした。

真田丸42話「味方」感想つづく
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