真田丸感想43話「軍議」②其々の思惑


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前回、徳川軍の大阪への進軍が開始されました。

大阪城
茶々がお付きの者に扉を開かせると武器蔵の中に入ります。
茶々はお付きの者たちを下がらせると扉の外の者に「お入りなさい」と命じます。
命を受けて中に入ってきたのは幸村です。茶々は「閉めて」と幸村に命じます。
嘗て二人、忍んで入り込んだ武器蔵に再び入ります。
扉が閉められると「ここに入るのは、あの日以来」と昔を思い出したのか茶々は楽しそうに打掛を翻させて蔵の奥へ歩みを進めると「太閤殿下が私に見せようとしなかったものたち」そう言って、中を見渡すと「皆、もうすぐ出番ですよ」と呼び掛けます。
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茶々は並べられた槍の中で手近にあるものの柄を撫でながら「勝てますか」と幸村に背中を向けたままに問い掛けます。幸村は「申し上げた筈です。私はその為に来たと」そう答えると茶々はため息を一つ吐くと安心した表情を浮かべると「頼もしいこと」安心して台座の上に何の気なしに手を掛けると触れた手に積もった埃が付き、それを気にしていると幸村は懐紙を取り出して茶々に差し出します。
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懐紙を差し出されたまま摘まむようにして埃を拭うと茶々と幸村は僅かに見詰め合います。茶々は微かな笑みを浮べながら蔵の奥へ向き直り更に奥へと進むとその先にある引き戸に両手を掛けて懸命に開こうとすると、途中から幸村が片手を差し伸べてその引き戸を開きます。
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その中へ茶々が進むと、幸村は入り口で立ち止まり「これより軍議がございます。そこで秀頼様に必勝の策を献ずる積りでいます」と述べます。茶々は幸村へ振り返ると「この城さえあれば我等は負けませんね」と緊張した面持ちで尋ねます。幸村は「勿論です。ただ私の献ずる策は籠城を取りませぬ」と訂正すると茶々は何事かを言おうとしますが、その前に「もっと良き手が」とその言葉を封じます。茶々は「秀頼殿が危ない目に遭う事はありませんか」と秀頼の身に危険が迫る事はないかと確かめます。幸村は首を横に振りながら「勿論です」と答えます。茶々が未だ安心できずにいる様子を見せると幸村は何かに気付き奥に進み倒れている長巻を拾い上げると、あるべき場所へと立て掛けます。茶々はその背中に縋り付くように身を預けると「ずっと待っていました」と言います。
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幸村は何も言わないままに戻した長巻を掴んだままでいると茶々は続けて「私の愛した人たちは皆、この世に未練を残して死にました。父上も母上も兄上も、柴田の父も。捨も」と語ると「太閤殿下は」と幸村が聞くと茶々は背中に預けていた顔を上げると「私の愛した人たち。と言いました」と述べると再び顔を背中に預け「私はどうなっても構いません。秀頼を死なせないで」と頼みます。幸村は背中に顔を向けると「命に代えても」と答えます。それを聞いた茶々は手を前に回して背後から幸村を抱き締めようとします。しかし幸村はその手を取り下に降ろさせると「これより軍議の支度がございます故」と言い一礼すると茶々を残して蔵を出て行きます。
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二人が嘗て忍んだ思い出話もないままに取り残された茶々は大きく息を乱しますが、やがて息を整えると振り返り淀殿の表情で幸村の出た先を見つめます。
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有楽斎と大蔵卿局は修理に「牢人達はどれ程に増えましたか」と詰問します。修理は「既に十万を超える勢いでございます」と答えます。「まだまだ増えそうですか」と重ねて聞くと「あとは兵糧との兼ね合いが心配です」と修理が補給を心配すると「そのようなものはどうにでもなります」と傲岸に述べます。有楽斎は「戦というものは時の勢いを味方につけた方が勝ち。我が兄が桶狭間に於いて今川義元の大軍を破った時を思い出します」と昔を懐かしみ出すと修理は言葉を苦そうに飲み込むと大蔵卿局は「されど治長。くれぐれも、あの者達に好きにさせてはなりませぬぞ」と呼び掛けて振り向かせると「持ち上げるのは構いませぬが舵を取るのは、あくまでも我等」と釘を刺すと有楽斎が「本日の軍議が肝要ぞ」と続けると修理は「畏まりました」と二人の意を呑み込みます。
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大野修理治長は当時、大阪城の内部において且元が去った後に主要人物となっており、また茶々の乳母である大蔵卿局の子でもあります。
修理も幸村と同じく秀吉の馬廻り衆から始まり、その後の天正十七年(1589)に和泉国佐野、丹後国大野お合わせて一万石の大名に抜擢され、秀吉の亡くなった後は秀頼の側近として仕えていました。しかし慶長四年(1599)に家康暗殺計画の首謀者として捕らえられる事となり下総に流罪となります。関が原の戦いにおいては東軍側として働いた事で、その罪を許されています。その後は秀忠の側近として仕え、慶長十六年(1614)には家康の口利きで秀頼から五千石の加増を受けており、これは豊臣家臣団の中で二番目に大きなものでした。
生年は幸村より二歳下の永禄十二年(1569)こうして見ると修理も順風満帆に生きてきた訳ではなく、途中で紆余曲折を経た上で現在の地位に就いており、後年言われる程に官僚的で尊大な人物ではなく、多少、線は細くとも思慮分別のある人物であったようです。
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武器蔵から出た幸村は内記と大助が囲碁を打つ所を訪れると「少し借りるぞ」と碁石を掴むと、部屋の奥に腰を下ろすと「軍議に備えて考えをまとめておこうと思ってな」と言うと図面を取り出します。内記は「策は決まりましたか」と尋ねると幸村は図面を広げながら「嘗て父上の立てた策を目下の形勢に合わせて練り直した」と答えます。内記は「楽しみですなぁ。籠城戦は亡き殿も得意中の得意でございましたからな」と嘗ての戦を思い出したのか嬉しそうに言います。そんな内記を幸村は不敵な笑みを浮べて眺めます。

見ていて思いましたが茶々は過去を向いており、幸村は未来を見据えている。
大蔵卿局は手にした権威を手放すまいと懸命であるし、現状を知る息子の修理はそれを苦々しく眺めている。
各人、思惑を胸にして軍議が始まります。

真田丸43話「軍議」感想つづく
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