真田丸感想48話「引鉄」①有楽斎の望んだものは

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前回、豊臣と徳川が和睦を結び、代わりに豊臣は真田丸は取り壊しとなり城の堀は埋め立てられてしまいます。

茶臼山、家康の本陣に一人の兵士が命からがら辿り着きます。それを見た徳川の兵士が駆け寄り介抱すると倒れた兵士は介抱する兵士を切り付け「今じゃ~」と合図します。兵士は盛親が偽装したものでした。盛親の合図に隠れていた重成や又兵衛等、豊臣の兵士が飛び出し徳川の兵士達を切り倒し夜の家康本陣へ突撃していきます。
眠っていた家康は「夜討ちじゃ~」と響く声に飛び起きます。
そして頃合を見て勝永が「引け、引け~」と退却の合図を行うと豊臣方は退却します。
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家康本陣に突撃した又兵衛達が大坂城に戻ると幸村が「ご苦労でござった」と迎えます。又兵衛が「あれで良かったのか」と聞くと「十分だ」と答えます。盛親は「もう少し暴れてみたかったが」と言い、勝永は「次はどうする」と次の指示を仰ぎます。
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幸村は佐助を連れて有楽斎を厨に呼び出すと「家康は昨夜の夜討ちで、さぞ慌てた事でしょう。急ぎ、陣を引き払い京へ戻る筈。その道中を狙います。如何でしょうか」と有楽斎に尋ねます。有楽斎は「良き案じゃ」と頷くと「何れ、敵は攻めて参ります。家康の首を刎ねる意外、勝ち目はござらぬ」と言うと佐助が「明日の夜、此処を発ちます」と告げるとと有楽斎は「一度しくじると守りが堅くなる。仕損じるな」と佐助に発破を掛けます。佐助は「はっ」と答えると早速、目的地へと向かいます。
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その姿を与左衛門が見送ります。
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家康の元へ早速、夜討ちを掛ける事を伝える密書が届けられます。
それを見た家康は「明日の夜、儂を襲うようだ」と密書の内容を伝えると、正純は驚きます。家康は「裏をかいて今日の内に、ここを発つ」と対応策を決めます。
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幸村は「恐らく家康は我等の裏をかいて今日中に動く筈。その裏をかけ」と既に出て行った筈の佐助に命じます。佐助は「必ずや家康を仕留めて参ります」と答えると、今度こそ家康の首を取る為に向います。
その途中、佐助はきりの所に寄り今回の目的を告げます。きりは「お気を付けて」と佐助の成功を祈ると佐助は「一つだけお願いがあります。もし無事に帰ってきたら・・・。夫婦になって貰えませんか」「ごめんなさい」「はっ」と迷うこと無くきりから出された回答に佐助は幻の如く消え失せます。
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家康は正純へ「一先ず京に入り、そのまま駿府に戻る」と告げると目の前で聞く秀忠に「おまえも早々に江戸へ帰れ」と引き上げることを命じます。秀忠は「父上の陣所が攻められたのですぞ。和睦は破られたも同じ。一気に攻め滅ぼしましょう」と総攻めを提案しますが家康は「ならん」とこれを却下します。秀忠は尚も食い下がろうとしますが家康は「我等が去れば牢人共は城を出て行か去るを得なくなる。それを待って・・・。総攻めよ」と改めて戦略を用いた上での戦い方を秀忠に教えます。それに秀忠は息を呑んで頷きます。家康は「この戦。決して負ける訳にはいかんのじゃ」と決意を新たにします。秀忠はその言葉を固唾を呑んで聞きますが、家康はやがて堪え切れず漏らすように「ヒャッヒャッ。ハッハッハッ」と笑います。
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大坂城では首脳陣の評定が開かれます。大蔵卿局は「戦は終わったのじゃ。勝つとか負けるとか何を言うて居るか」と戦が終わったと幸村に告げると「家康は戦を止めた積りなどございませぬ。城の堀を埋めたさせたのは必ずまた攻めて来るという事」と返しますが「馬鹿を申せ、徳川は軍勢を引くと言うではないか。牢人達には一日も早く出て行って貰います」と宣言します。有楽斎は「左衛門佐殿。其方は秀頼様の為に牢人達を手放すなと申すが。その牢人達そのものが戦の火種になりかねない事は分かって居るのか」と聞きます。幸村は「無論、承知しております」と返すと「ならば・・・」と言葉を続けようとする途中で「それでも手放すべきではありません」と幸村が答えると、幸村の考えが正しいことを知る有楽斎は沈黙します。修理は秀頼に「如何なされますか」と裁定を仰ぐと「私はあの者達に大きな恩義を感じて居る。牢人達は出来得る限り豊臣の家臣にしてやりたい」と牢人達を手放す気は無いと言います。幸村は「殿様がその思いで居て下さるならば皆、必ず付いて参りましょう」と牢人達の忠誠心を伝えます。そのやり取りを有楽斎は焦りの表情を浮かべて聞きます。
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その夜、有楽斎は自室で評定の内容をまとめた密書を作り上げると、立ち上がり襖を扇子で叩くと僅かに開き手が差し出され、作り上げた密書をその手の上に乗せます。しかし、その手は文を開き中身を確認します。いつもと様子がおかしいと感じた有楽斎が「何をして居る。早う行かぬか」とその手を急かし、それでも動かぬ手を見て有楽斎は襖を開き手の主を見ようとすると、そこには幸村が控えていました。
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有楽斎は驚き狼狽して後退さると幸村は密書を破り捨てながら「有楽斎様が徳川と通じている事は以前より分かっておりました」と言います。有楽斎は「徳川とまともに戦っても勝ち目はない。如何にして秀頼公をお守りするか。お上様に安寧にお過ごし頂くか。儂なりに考えての事じゃ」と裏切りの理由を並べ立てます。幸村はそれを一通り聞くと「言いたい事はそれだけですか」と聞きます。有楽斎は数瞬、考え込むと「徳川と通じて居ったことは認めよう。しかし、豊臣に不利な事を敵に流した覚えは無い」と言うと、幸村は脇差を抜きます。有楽斎は「儂は織田信長の実の弟。命乞いなどせぬわ」と扇子で幸村を差すと、それを斬り捨てます。有楽斎は地に腰を付けて狼狽し「ちと待て」と言うと幸村は一旦、脇差を構えたまま動きを止めます。有楽斎は「豊臣と徳川の懸け橋となるのは儂しか居らぬ」そう言い自分の胸を手の平で叩き「それでも斬るというのなら。斬るが良い」と自分の有用性を盾に開き直ろうとします。
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幸村は「信長公が泣いて居られます」そう言うと脇差を有楽斎の首に当てます。有楽斎は「ちと待って」と頼みます。幸村は「今すぐ出て行かれよ。そして二度と戻って来てはならぬ」そう言うと脇差を首の横から離します。有楽斎は項垂れてから観念したように頷きます。
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関ヶ原の戦いが終わった後の慶長六年四月十八日に伊達政宗が今井宗薫に宛てた文の中に「私には大坂方の施策が理解できない。余りにも周囲の情勢に配慮がない。もし秀頼に牢人共が集まり謀反をすれば良くない事となる筈である」(大阪城天守閣所蔵文書)といったことを述べた部分があり秀頼の将来を憂いると同時にやがて大坂を巡る争いが生じることを予見しています。
有楽斎は裏切者ですが彼なりに豊臣を守ろうとした側面もあったのではないかと思えます。確かに彼の想定通り、牢人達が無策に戦い徳川に破れて秀頼が家康に逆らうことを諦めて大坂城を明け渡すか国替えを受け入れて一大名となることを受け入れていれば命は助かり現在も命脈が続いた可能性は十分にあったと思うからです。
想定外だったのは有楽斎の想像を超えて牢人達が活躍した事でしょう。それが結果として徳川への抵抗を長引かせる事に繋がります。集まった皆は利害の一致によるものがあったとしても基本的には豊臣の為に尽力していた筈です。それがやがて悲劇へと繋がって行くというのは歴史の皮肉であるように思えます。

織田有楽斎は大坂城を出た後は京に隠居。茶道に専念して穏やかな余生を過ごし元和七年十二月十三日に死去、享年七十六歳。

真田丸48話「引鉄」感想つづく
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