真田丸感想49話「前夜」⑥敗走


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慶長二十年五月五日
徳川軍は二手に分れ高知平野を目指します。
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平野に敷いた又兵衛の陣では又兵衛と勝永、幸村とで酒を飲みます。勝永は「敵は明日にはやって来るとの事だ」と探らせていた敵の動きを伝えます。又兵衛も「こっちもな、今夜の内に道明寺まで出ようと思っている」と答えます。幸村は「後藤殿、気を悪くしないで聞いて貰いたい。良からぬ噂を耳にした。我等は全く信じていないのだが」と前置きをした所で又兵衛は「俺が寝返る訳ねえだろ」と幸村が本題を話す前に答えます。勝永は「本気にしている奴等もいる」と言うと「誰だ」と又兵衛が聞きます。勝永は「大蔵卿のばばあとか」と答えると又兵衛は声を上げて笑い「言いたい奴には言わせとけ、播磨三十五万石だとさ」と家康の提示した条件を述べると勝永は「家康も張り込んだもんだな」と言うと「実は私も信濃四十万石で誘われた」と自分も家康から誘われたことを伝えます。又兵衛はうんうんと小さく何度か頷き「あんたも誘われてたのか」と勝永は驚くと「何で俺には声が掛らんのだ」と腑に落ちない様子でいますが、幸村は「後藤殿、一つだけ頼みがある。悪い噂を立てられたからと言って捨て鉢には為らぬ事。手柄を焦る事もない。行く社心が乱れた方が負けだ」そう言って重ねて又兵衛を宥めます。今まで家康の使者と会ったことで疑われたことが悔しく未だに受け入れられていない様子の又兵衛ですが幸村の言葉の理解は出来ている為、反論せずに頷きます。
勝永は自分一人が誘われていないことに納得がいかず一人「何で俺には声が掛らないんだ」と嘆きます。
しかし、この時の三人は道明寺に家康がやって来ると踏んでいます。従って又兵衛が家康を引き付けている所へ幸村と勝永が現れて上手く挟撃にして家康の首を取るか、三人が死ぬまで戦い続けようという末期の酒を酌み交していました。
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又兵衛は戦準備の為に鎧を整えていると重成が「後藤様。いよいよですね」と言って挨拶に訪れます。又兵衛は「思いっきり暴れてやれ」と発破を掛けます。重成は「後藤様には色々と学ばせていただきました」と今までの礼を述べます。又兵衛は「何だそりゃ」と笑いますが「お会い出来て光栄でした」と重ねて重成が礼を述べると又兵衛は重成に歩み寄ると「二度とそういう事を言うな。戦の前にそういう事を言うとな、必ずどっちかが死ぬっつうのがお決まりなんだよ」と次は戦が終わったら結婚するとでも言う積もりかと訝しむと匂いに気付き「お前、良い匂いするな」と言います。「万一、首を取られた時に恥ずかしくないように、夕べから兜に香を焚き染めて居りました」と重成が斜め上の回答をすると又兵衛は声を出して笑い「つまらねえ真似すんじゃねえ。早く持ち場へ戻れ」と重成の肩を叩き笑い掛けると、重成は「はい」と答えて頭を下げると自分の持ち場へと戻ります。
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重成の死をも厭わない戦への覚悟を見た又兵衛は重成の後ろ姿を見送る時には既に笑顔は消えています。恐らくこの時、又兵衛は秀忠軍を食い止める重責を担う若い重成を死なせない為にも早い決着を着ける必要があると決意したのではないでしょうか。
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慶長二十年五月五日早朝の道明寺に徳川家康ではなく伊達政宗率いる三万五千の兵が向います。家康率いる十三万の兵は重成と盛親の守る若江、八尾方面に向けて迫ります。
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道明寺の小松山に又兵衛は二千八百程の兵をもって布陣して政宗の軍を見つけた又兵衛は「行くぞ」と全登に言います。「左衛門佐殿を待たねば」と全登がそれを止めようとしますが「待っていられるか」そう言うが早いか又兵衛は政宗の軍へと向って行きます。それを見た全登も十字を切ると続いて向かって行きます。
夜明けと共に先手を打った後藤隊でしたが、やがて政宗を主力とする徳川軍の猛反撃に先鋒隊は全滅の憂き目に遭います。十倍以上の徳川軍に囲まれた上に山を三方向にから幾度もの攻撃を防ぎます。やがて守り一方のままではジリ貧になって全滅する事が見えた又兵衛は率いる兵士達に「死にたい奴は今から帰れ」と命令します。しかし又兵衛を慕う兵士達の殆どは帰らず共に平野へと下りることを選び、死力を尽くした最後の突撃を敢行。徳川方の隊をいくつかを打ち破ります。しかし、又兵衛隊の側面を丹羽氏信軍が突いた為に分断されてしまいます。又兵衛は自ら分断された陣形の立て直しに向かった所を伊達の鉄砲隊に一斉放射され、胸に銃弾をいくつも喰らい、次に槍隊から一斉に切り掛かる槍を受け止めるも、身動きの取れなくなった所に更に敵の槍が幾つも突き刺してきますが尚、それを跳ね除けます。近くにいた部下は息も絶え絶えの又兵衛を連れて逃げようとしますが、又兵衛にその気はなく部下に自分の首を刎ねるよう命じます。吉村武右衛門は又兵衛の介錯を行うと陣羽織に包んで土に埋めたと言います。
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後詰の幸村と勝永が到着すると又兵衛が死んだことを知らされます。
勝永は「あれほど功を焦るなと言うたのに。あの馬鹿」と卓を叩き又兵衛の死を嘆きます。幸村は嘆くのを堪えながら「大和路の徳川勢を率いているのは」と後詰の隊に合流した全登に聞くと「伊達政宗」と答えます。この言葉に幸村は目論見が外れたことを知ります。
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若江、八尾方面で木村重成と長宗我部盛親は徳川本軍が迫り来る姿を目撃します。盛親は「目論見が外れたな、数が違いすぎる。引き上げよう」と提案します。しかし重成は「いや、ここを通してしまっては道明寺の後藤殿が逃げ場を失う。攻めましょう」とそれを拒みます。木村重成はまだ後藤又兵衛の敗北を知りません。盛親も仕方なしという表情を浮かべます。
若江方面には重成隊が布陣。八尾方面には盛親隊が布陣。徳川の藤堂高虎、井伊直孝の両軍と激突する事になります。藤堂隊は右翼と左翼に分けて進軍します。
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先ず左翼の盛親隊の戦いである八尾の戦いですが、長宗我部家と藤堂家は秀吉が存命している頃は良好な関係を築いており、長宗我部家の元家臣が改易された際に多く引き取って貰っている為に盛親は同族同士で戦うという最悪の筋書きを辿ることになります。長宗我部家の先鋒隊は早々に敗れ去ります。勢いにのった藤堂家は盛親の本隊へと迫りますが、長瀬川の堤防に兵士達を伏せてさせて隠れさせ、藤堂隊が至近距離に迫ったときに「立て」と隠れていた兵士達に号令を掛けて兵士達は槍を持って堤防を駆け下り今度は藤堂の先鋒隊に壊滅的なダメージを与え、藤堂高刑、藤堂氏勝、桑名一孝といった名のある武将達を討ち取ります。更に長宗我部隊は左右から挟撃を開始。これに藤堂隊は右往左往の大混乱へと陥り、藤堂高虎でさえも討ち取られる寸前まで追い詰められました。
戦闘は昼間まで続きますが、この頃に重成を破った井伊直孝隊が援軍として藤堂隊に合流。これに盛親は撤退を決めると久宝寺村で食い止めようとしますが藤堂隊に破られてしまいます。
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盛親は敗走する先で配下の兵達を集めると「最早、勝ち目はない。これまでじゃ。長宗我部、再興の夢は潰えた。後は各々・・・。生き延びよ」そう言うと後ろを向き走り始めます。しかし配下の兵士達は「殿。殿~」と後ろに付いて来ます。これに盛親は後ろを振り返り「付いて来るな」と叫ぶように言いますが、やはり兵士達は付いて来ます。その先には敵が待ち構え、結局、兵達は盛親を守る為に戦い始めます。これに盛親は首を横に振ると自らも刀を抜き放ち切り掛かると森の中へと進み大坂城へと撤退します。名将の名高い藤堂高虎に勝利する目前まで迫りながら流れの変化によって壊滅状態に追い込まれる姿を見るとつくづく勝負というものは水物であるということを思い知らされます。
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次に右翼の木村重成隊の戦いである若江の戦いは、藤堂の右翼部隊と重成隊とがぶつかります。右翼の先鋒である藤堂良重が単騎駆けを仕掛けてきますが重成隊はこれを撃退、良重は戦死。続いて藤堂良勝と激しい銃撃戦を展開。これにも打ち勝ち良勝を討ち取り右翼隊を壊滅させます。ここで重成は兵士に休息を取らせます。本来であればここで盛親隊と合流するか引き上げてしまえば良いのですが、又兵衛の退路を確保する事を優先する為に戦闘の継続を決定します。
ここで道明寺に向っていた井伊直孝隊が転進して向ってくることを知った重成は玉串川の堤上に鉄砲隊を置いて待機。やがて進軍して来た井伊隊と激突。先ずは激しい銃撃戦が展開される中で井伊隊の川手良利が数騎を連れて突撃してきますが、重成隊はこれを討ち取ります。更に井伊隊の兵士一千人が突撃を開始。ここから大混戦の様相を呈し始めます。当初は互角であった戦いですが、重成隊は兵数が少ない上に疲労も積み重なった事により徐々に押され始めます。ここで部下達が重成を逃がそうと本人に説得を行うのですが、重成はこれに従わず自ら刀を振るい敵と戦い続けます。やがて沼地の上で敵の攻撃を受け止めるも泥濘に足を取られた所を討ち取られます。その後に戦を傍観していた榊原康勝と丹羽長重が戦闘に参加。重成隊は壊滅。
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その後、重成の首は検分の為に家康に届けられ、その首から香の匂いが漂ったことにその覚悟の程を褒め称えたという逸話が残ります。
重成は同年一月七日に大蔵卿局の姪である青柳と結婚しており、その腹の中には子供がいました。その後、青柳は出家するも重成の一周忌後に自害。子供は養子として引き取られ生き残ったと伝えられます。

盛親と重成の戦いによって翌日の戦いで先鋒を任されていた藤堂と井伊は被害の大きさから先鋒を辞退する事となりました。
松平忠直もこの戦いを傍観していたことを家康に叱責されたことが抜け駆けに繋がり、戦功を上げるも論功行賞に不満を抱き徳川幕府への不満を抱かせていく事に繋がりました。
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幸村達にも盛親、重成の敗北を知らされます。
勝永は「まさか、主力がそっちから来るとは」と悔しがると幸村は「どうやら、我等の策が敵に筒抜けのようだ」と間者の可能性を示唆します。全登は「有楽斎ではなかったのですか」と聞きますが「他に居るという事か。我等五人衆の中に」勝永がそう言って顔を上げると全登と目が合い、刀に手を掛けて立ち上がります。全登は「お待ちください」と止めますが幸村は「我等の話し合いを常に聞いていた男だ」と間者の条件を述べます。
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その頃、与左衛門は厨に現われた忍者に自分が知り得た情報を与えます。その姿を見た与八は与左衛門に抹殺されます。
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幸村隊と政宗隊の戦いが始まります。
道明寺の戦いで又兵衛を倒した徳川勢は勢いに乗って後詰めの幸村達に襲い掛かります。政宗は騎馬と歩兵、更に鉄砲隊の混合部隊を二手に分けて襲撃させます。これに幸村も左右の鉄砲に対しては鉄砲隊から反撃させ、正面の敵に対してはぎりぎりまで敵を引き付けてから攻撃することで敵の鉄砲隊が鉄砲隊以外の敵を射撃すると味方に当たるようにすることで鉄砲隊の脅威を出来る限り無くなるようにして戦います。幸村も前線に出て戦い、父のその姿を見た大助も敵陣に突撃を掛けます。
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しかし大助は敵の放った矢が当たり負傷。作兵衛に抱えられて退却します。この戦いも激戦となり伊達側も片倉小十郎自身が騎馬で戦いに参加して四騎の敵を討つ程の最前線の中に身を置いて戦っています。
真田と毛利の軍は伊達軍と激闘を繰り広げますが午後四時過ぎ頃から順次撤退を開始。殿は真田が務めます。後を追うは伊達政宗。幸村と政宗の二人は戦場を挟んで向かい合います。
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幸村は手に持つ槍を地面に突き立てると刀を抜き放ち掲げると「これで仕舞いか、徳川兵に誠の武士は一人も居らんのか」と戦場に響き渡る大音声で挑発します。これに景綱は「討ち取れ」と号令を掛けると鉄砲隊が前に出て構えます。そこで政宗が「もう良い。弾は尽きた」そう力が抜けたように号令を取り消します。幸村は悠々とその場から撤退して行きます。その後ろ姿を政宗は見送ります。
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政宗は嘗ての自分の姿を幸村に重ねていたのではないかと思います。もっと早い時代に生まれ天下を目指し戦いたい。そう言って天に向って剣を振りかざした嘗ての自分の姿を見出したのだと思います。政宗が幸村を見送る瞳に宿るものは憧れであったのではないでしょうか。
真田幸村に日の本一の兵の賛辞が与えられたのは後の講談等の物語に取り上げられた事も勿論ですが、徳川に天下が握られようとする中で敢然と立ち向かう姿に憧れる者が徳川方の者にも多くあったというのも理由としてあるのではないでしょうか。

真田丸49話「前夜」感想つづく
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