真田丸感想50話最終回感想⑬夢の終わり


大坂の役が終わり且元が寧々を訪ねます。

夏の陣では大野修理が且元へ秀頼助命の願いを家康に取り成すよう頼む使者を送っていました。これを受けた且元は秀忠に助命嘆願を行う事となるのですが、結果として家康に秀頼達の隠れる蔵の場所を教える事となり、その為に豊臣家は滅びる事となりました。

彼は後世になり裏切り者と謗られることもありましたが、彼の行動は一貫して豊臣家を救う為にあったのではないかと思えます。且元は徳川家との交渉等を通じて再び豊臣の世が来ることはないことを肌で感じていました。その流れの中で豊臣が生き残る為には徳川に従うしかない。その考えは皮肉にも豊臣家の中で自分の居場所を奪うことに繋がりました。彼は大坂の役では徳川に与するようになりましたが大坂冬の陣が終わってからも家康と面談を行い秀頼が生き残る道がないか模索し続けていました。しかし彼の努力は最悪の形で結末を迎える事となりました。

この事実は彼を苛み大坂の役を終えて程なくして死去。戦が終わり僅か二十日ばかり後の事でした。死因は元から煩っていた肺病の悪化によるものとも、自害したとも、暗殺されたとも言われています。

元和元年(1615)五月二十八日死去。享年六十歳。

始めは秀吉に槍で仕え、やがて文官として豊臣家に貢献するようになり、裏切り者と謗られ豊臣家を追われ、徳川家に仕えながら秀頼を助けようとするも叶わずに終わる。

且元から懺悔するかのように報告を受けた寧々は「ほうですか・・・。大坂城が・・・」と独り言を呟くように応じると、且元が小さく痙攣するように頷きます。寧々は茶の用意を続け且元を見遣らないままに「全ては夢のまた夢」と誰にでもなく言います。それを且元は何も言葉にすることの出来ぬままに聞きます。その姿を見て寧々は点てた茶を且元の前に置くと「さぁ、上がってちょうだゃぁ」と勧め、それを受けて且元は再び何事かを述べようとしますが、その口から言葉が発せられる事は遂にありませんでした。

寧々自身も秀吉の子を残す事は出来ず、実務面では朝廷より従一級の位(女性に対して与えられる最高位)を叙任される程の評価を受け、茶々とも良好な関係を作ることが出来ていたと言われています。その人柄は多くの人から慕われました。晩年は秀吉の仏事に専念し表舞台から姿を隠し限られた人物としか会いませんでした。
しかし聡い女性ですので彼女も早い段階で家康の野望を止める手立てはないことが分かっていたのではないでしょうか。

だからこそ彼女も家康陣営の中に身を置くことで自分に出来ることがあると考えた面もあるのではないかと思います。そんな彼女も一度だけ表だって行動を起こし掛けたことがあります。
且元が大坂城を退去した翌日、慶長十九(1914)年十月二日の事です。

高台院殿、昨日大坂ヘ御下向、但シ鳥羽ヨリ帰ラレル(「時慶卿記」)

当時の公家である西洞院 時慶が遺した日記の中で寧々が大坂に向かう途中で引き返したとあります。
この時の寧々は家康が豊臣へ求める要求は余りにも理不尽であるという怒りに突き動かされていたのではないかと思います。
この時の彼女が取ろうと考えていた選択肢は恐らく下の二つです。

1、豊臣に家康の要求を呑み平和裡に解決するよう説得する
2、大坂城に共に籠もり秀吉恩顧の大名達へ家康との決戦を呼びかける

しかし途中で気づいた筈です。家康の要求を呑む等という事を未だに秀吉の威光を信じて疑わない豊臣の人間が受け入れる筈がない。それは且元が大坂城を追われた事からも明白である事。家康との決戦については秀吉恩顧の大名達の殆どは家康に既に取り込まれるか、もしくは加藤清正のように亡くなってしまい期待出来ない事。そう考えると自分はやはり家康の元に身を置き、せめて秀頼の命乞いを行うことが一番の得策ではないかと考え直した為に大坂へ向かう途中の鳥羽で彼女は引き返したのではないでしょうか。

寧々が茶を点てながら見上げた空に夕焼けが広がります。この時の彼女の気持ちは、蔵の中に追い詰められた秀頼が未だに助けを信じる茶々の隣で蔵の小さな窓から垣間見た時のもの、幸村が神社で精魂尽き果てて見上げた時のものと同じであったのかもしれません。

且元に茶を勧めた彼女は亡き主人の辞世の句の一部を呟きました。
これの全文は下記になります。

-露と落ち 露と消えにし 我身かな 浪速のことも夢のまた夢-

句の意味の通り、露のように自然と生まれ、同様に露と消えていく、大坂での栄華も全て儚き夢の中の幻のようなものに過ぎない。その事を彼女は知っていました。故に彼女は夢の醒めぬ人たちと考えを一にすることが叶わぬことを知っていたが為に大坂城を出て自分の役割を果たすことを決断したのではないでしょうか。

何れにせよ彼女が見上げた空には雲がただ流れていました。

真田丸、感想終わり。
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