「M 愛すべき人がいて」を見て

どうかしている
浜崎あゆみのロゴっぽいMoneroコイン

「M愛すべき人がいて」というドラマを見ました。

原作は浜崎あゆみとプロデューサーである松浦勝人氏との出会いと別れの物語とあるので、ドラマも何か絵に描いたような何かアレだろ?恋愛サクセスストーリー的な頭お花畑のクソドラマなんだろうと思って完全スルー体制を敷いていたのですが、周りからあのドラマはヤバい、何かがおかしいという声を数多く聞くにあたって、それなら見てみようかと思って見たのですが、やっぱり何かがおかしいです。

一言で言うのは難しいのですが、話の筋的には昭和の頃に流行ったスチュワーデス物語的な「私はダメでのろまで間抜けな豚です(正しくは「ドジでノロマな亀」でした。これだとSM大好き豚社長ですね)」的なものから自虐を抜いたというか、主人公の動きは機敏ではなく、寧ろのろい位に見えるのですが、明らかに成功するのは分かっているのでという空気を漂わせてくるので決して努力が実って良かったね的な爽やか感はありません。それどころかフェラーリが出て来たりというバブル感、でもセットとかは画面から伝わってくる隠し切れない低予算感という矛盾というか何と言うか対立する概念が破綻せずに同居しているという絶妙というか危険なバランスが成立させているのが凄いと思います。

このようにこの作品には単なるクソドラマとは一線を画す何かがあります。
と言うかツッコミ所は夜空に輝く無数の星のように存在します。

そうだ。原作はどうなっているのだ?と思ったときには既に深夜。

仕方ないのでGoogle先生に聞いてみると、ギリギリ浜崎あゆみが本当に経験したかもしれないというリアリティを持って書かれたフィクション一部ノンフィクションであることが分かりました。

まぁ実際の人物が出てくるとなると本当のことを一切合切かいてしまうと、慰謝料だ何だと大人のドロドロとした話になってしまうので、そういった大人の事情を背景に作られたものであろうことは理解できました。

以下は冒頭の但し書きです。

テレビ朝日×ABEMA 共同制作ドラマ
「このドラマは小説『M 愛すべき人がいて』(小松成美著 幻冬舎文庫刊)に、ドラマオリジナルの要素を加えたフィクションです」

これを見て軽い眩暈がしました。

頭からフィクションとノンフィクションの要素に更にドラマオリジナルの要素を加えるという魔改造が施されているという事実を突き付けて来たのです。
訳が分からない。半週回って更に回っているのでもはやオリジナル作品なんじゃないかという気がしてきます。

放送開始4秒でこの破壊力。

しかし冷静になって考えてみましょう。

原作本の分量は206ページ。その事実を踏まえると原作を忠実に再現しようと考えた場合、通常ワンクール13話か12話の尺を埋めるには心許ない、やはりある程度の水増しは避け得ません。通常であれば監督か脚本家の帳尻あわせが行われて然るべきところです。普通ならどうでも良い、いやいや、素敵シーンを付け加えることで尺を埋めることになりそうなもんですが、この作品は元のお茶を紅茶で薄めて更にジョルトコーラを足して、何かオリジナルの飲み物にしているのです。

これは下記の記事を読むと浜崎あゆみが、このドラマについて自らは一切の告知を行っていないという事実からも伺える気がするのであります。

浜崎あゆみは完全スルー? ドラマ『M 愛すべき人がいて』の宣伝を一切しないのはナゼ -WEZZY


本人的には無かったことにしたい黒歴史なんですかね?
そんなものを衆目に晒されてしまうんですから芸能人はやっぱり大変な仕事だと思います。例えば自分で言えば過去の創作ノートとか晒されたら死ねると考えれば、その過酷さが伝わるでしょうか。

この作品を見ているとテレビの向こうで浜崎あゆみが仮面ライダーの目みたいなバカでかいサングラスをずり落としているであろう姿が透けて見える気がしてならないのです。

話は戻りドラマ制作チームはさながら無から有を生み出してやるという気概に満ちた鋼の錬金術師。正にどっかへ征く者といった風格すら漂わせているに違いありません。

前置きが長くなってしまいました。
弊サイト「悲しい笑い」はツッコミを入れるコーナーを持っています。
この作品に取り組むというのはある意味で挑戦です。

このツッコミどころ満載のボケの嵐の前に足がすくんでいます。どこからツッコミを入れたら良いのか?といつまでも立ち尽くしている訳にもいきません。正直、自分の手に負いきれるのだろうか?と思わないでもありませんが次回から手当たり次第にツッコミを入れていく所存であります。