真田丸30話感想 「黄昏」⑤日本二十六聖人について

2016-08-06 10.03.50

秀吉はサンフェリペ号事件を切っ掛けとしてバテレン追放を利用しようと言い出します。
三成は「直ぐにバテレン達に国外退去を命じます」と答えると、秀吉は手緩いと「耳を削ぎ、そうだな、鼻も削げ、引き廻しの上、磔じゃ。良いな」と命じます。

こうして秀吉はサンフェリペ号事件を切っ掛けとして禁教令を再び発布しました。

禁教令を発布した理由は二つあると思います。
一つはサンフェリペ号の積荷を取り上げる為、
二つ目はバテレン追放令後にも布教を続ける宣教活動を止めさせる為

それまでバテレン追放令は個人による宗教選択の自由を禁止するものではなく、黙認という形ではあるものの宣教師も活動できていました。しかしイエズス会から遅れてやってきたフランシスコ会が恐らくは遅れを取り戻そうと宣教活動を精力的に行ってきた事が挑発的と考えられたことが災いしたものと考えられています。
更にサンフェリペ号の兼ね合いからなのか捕縛された者はフランシスコ会の会員でもスペインのアルカンタラ派に属する者が殆どでした。

image1
大阪の細川屋敷では禁教令の影響をガラシャにわくさが「ディエゴもパウロも捕えられたそうです」と報告します。
ガラシャは「今は兄弟の為に祈りましょう」と信者に呼び掛けます。
この呼び掛けにいつの間にか入り浸るようになったきりも小さく頷きます。

ガラシャは苦しい立場です。自分は大名家の人間でもあり、下手に動けば家に影響が出るだけではなく集まっている他の信者たちも捕えられてしまいます。
また今回の捕縛がフランシスコ会員を狙ったものでありディエゴ喜斎とパウロ三木もイエズス会会員である事から助命される可能性が高いと裏で考えていたかもしれません。実際に三成は磔からイエズス会関係者を除外しようと動いていたと言われています。
image2
そこにフランシスコ吉蔵が「私は何で捕まらなかったのでございましょう」と問い掛けます。ガラシャは「捕まりたかったのですか」と問い返します。吉蔵は「パーデレ様の傍におった者は皆、捕まりました」と顔を上げられずに答えます。それを見たガラシャは「あなたはキリシタンになって間がないのでパーデレがお取り計らい下されたのかもしれませんね」と答えます。それを聞いた吉蔵は何事かを考えると「行きますわ」と言い立ち上がります。
image3
きりは「どこへ」と聞くと「捕まったのは大事な人達だ。私がお世話しなくては」「行けば磔ですよ」ときりが止めますが「皆と一緒だから平気だ」と笑顔すら浮かべて歩みを進めます。ガラシャがその前に立ちはだかり止めますが、その時に襖が開き「誰か参ります」と報告が入ります。ガラシャがそれに対応する為に向かうと吉蔵は「お世話になりました」と頭を下げると隠し扉から出て行ってしまいました。

ガラシャが吉蔵を説得する為に言ったキリシタンになって間がないという言葉を吉蔵は信心が足りないという意味だと捉えたのでしょう。また、捕まっているディエゴ喜斎は64歳という高齢であることも引っ掛かっていたのではないかと思いました。

1597年1月3日
捕縛された24名は京都・堀川通り一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされます。耳と鼻を削ぐという命令に背いたのは三成のせめてもの情けだったのでしょうか。
24名は見せしめの為に粗末な牛車に乗せられ、京、大阪、堺を引き回されました。

また見物人を驚かせたのはルビドコ茨木12歳、聖アントニオ13歳、聖トマス14歳の三人の姿でした。
人々は同時に三人が傷の痛みに堪えながら静かに「天にまします。めでたし」と祈りを唱え続ける姿に涙したと言われます。

1597年1月9日
長崎で処刑されることが決まった24名は徒歩で長崎へ向かう事となります。直線距離で凡そ700kmの旅路です。
その道中で世話をする為に付き添っていたフランシスコ吉蔵とペトロ助四郎の2名が新たに捕まり捕縛者は26名となります。二人が抵抗する事は無かったと言われています。
1月の寒い時期に長い旅路へと出ることになりました。
捕縛者26名の内訳は日本人20名、スペイン人4名、メキシコ人とポルトガル人が各々1名。全て男性でした。

途中の唐津(現在の佐賀県唐津市)で管理責任者であった寺沢半四郎は12歳の少年ルビドコ茨木を哀れに思い棄教すれば許してやると持ち掛けますが「束の間の命と永遠の命を取り替える事は出来ない」と申し出を断ります。
ルイス・フロイスは彼が捕まった時の事を「この少年が年少だったので哀れんで命を救う為に名簿に記入したくなかったが、少年は執拗に懇願しつづけたので、その聖なる懇願により彼を名簿に記入した」と記しています。
他の殉教者たちは尾張出身で最年少の彼がいつもにこやかでいる姿に心を慰められたと言います。

1597年2月5日
長崎に到着した26人は通常の処刑場ではなくゴルゴタの丘に似ているという理由から長崎の西坂の上の丘場での処刑を望み、その願いは聞き入れられます。
刑場に着いた一行は十字架を見て喜んだと言います。

西坂の丘の周りには4000人を超える人が集まりました。
外出禁止令が出された中での出来事です。

磔にされたパウロ三木は人々に向かい自らの信仰の正しさを語りました。
一行の全員が絶命したのは午前10時頃だと言われています。
彼等の遺骸は分けられると日本で最初の殉教者として世界中に送られ崇敬を受けました。

1862年6月8日

彼等はローマ教皇ピウス9世によって聖人の列に加えられました。
カトリック教会に於ける「日本26聖人殉教者」の祝日は2月5日とされています。

他にもサンフェリペ号事件とバテレン追放令、日本二十六聖人について調べて書いてみましたが、それぞれドラマがあってとても一話の中で描き切れるものではないですね。どこかでスペシャルか何かで描いてくれることを期待したいと思いながら30話感想を終わります。
真田丸感想一覧