インドネシアで行われたトランスミグラシ計画について書きたいと思います。
トランスミグラシ計画について簡単に説明すると都心部に集中している人口を別の過疎っている場所に散らせば上手くいくんじゃね?とやってみたら分断して紛争状態になる所が出て来てさあ大変というものです。
これを聞いて埼玉県川口市でクルド人問題を招くこととなった多文化共生を連想しました。
クルド人問題より前から多文化共生は失敗していた?
川口は昔からヤクザと風俗が名産の貧民街と言われていました。
そのあと多文化共生のキャッチフレーズの下で中国人や韓国人を多く受け入れてみたらゴミ出しのルールが守られずゴミだらけになって西川口の辺りはチャイナタウン化して来ているのを見ると全く共生してねえじゃねえか!という素朴なツッコミが湧いてきます。
この段階で多文化共生は明らかに失敗しています。奥ノ木市長の周辺で誰かこうなる前に止めなかったのでしょうか?
川口市の住宅街は住み易かった
それでも川口市を地元とする私としては川口の評判は悪いけど、駅周辺の治安が悪いだけで中に入った住宅街は住み易い街だと思っていました。
(昔の川口市の住宅街は無計画に行政が道路を作ったので歩いているスレスレを車が猛スピードで走っていく等を除けば静かで住み良い街でした)
川口市の行政は昔からアレなことで有名でしたが、それ以外は都心に近いし実際の川口市民は寧ろお得感がある位に思っている人も多かったのではないでしょうか?
マッドシティ川口への歩み
奥ノ木市長は川口市をチャイナタウン化させただけでは満足できなかったようです。
今度はクルド人を集め出します。
実際に奥ノ木市長はクルド人たちの生活が苦しいと政府に働きかけたりと随分と骨を折ったようです。
迫害を逃れてきたが難民申請が認められないクルド人を救済しようと、埼玉県川口市の奥ノ木信夫市長は23日、法務省で上川陽子法相と面会し、入国管理制度の改善を求める要望書を渡した。
引用:「所持金2千円…クルド人の生活逼迫 市長、国に改善要望 」-朝日新聞デジタル
市長が骨を折った甲斐もあってクルド人たちは解体業と資材置場に活路を見出します。
そうして置かれた資材置場は騒音や振動といった公害を発生させますが、これまた悪名高い川口市の行政が市民の為に動く筈がないので当然の如く放置されます。
お陰で資材置場を運営する為に必要な環境コストを掛けなくて済むのでルールを守る資材置場と比べて濡れ手で粟の大儲け。
この世の春を謳うクルド人は本国から仲間を呼び寄せて川口市が把握しているだけで1,300人となりクルド人問題として定着。
尚、人数はあくまで市が把握しているだけなので実際の数はもっと多い。
奥ノ木市長は川口市で内戦を起こさせて分離独立。
遂には一国の王になってやろうとか考えてたりします?
冗談はさて置き川口市が名実ともにマッドシティとしての地歩を固めつつあるのは確かです。
この状況とインドネシアで行ったトランスミグラシ計画が失敗した要因とで共通する部分があると思ったので書いてみます。
ごった煮インドネシア
先ずインドネシアについて書きます。
1949年12月27日にオランダから独立
正式名称:インドネシア共和国(インドネシア語: Republik Indonesia)
人口: 2億7000万人(世界人口数第4位2020年インドネシア政府統計より)
主な人種:約300(ジャワ人、スンダ人、マドゥーラ人等マレー系、パプア人等メラネシア系、中華系、アラブ系、インド系etc)
面積:約192万平方キロメートル(日本の約5倍)
しかも1万7000を超える島嶼を抱える世界最大の群島国家であり世界最大のムスリム人口(イスラム教徒)を抱える国でもあります。
多種多様と言えば聞こえは良いですが、悪く言えば寄せ集めのゴチャゴチャ。
国土が広くておまけに島嶼で構成されているので海で隔てられた群島国家。
プロフィールを聞いているだけで一つの国家として成り立たせることが出来るのか?という不安を覚えます。
トランスミグラシ計画
そういった状況下でトランスミグラシ計画を進めます。
インドネシアの首都ジャカルタの人口密度は14,464人/㎡で世界9番目。
この都市圏に集中する人口を過疎化している島嶼に振り分けようと画策。
インドネシアはジャワやバリといった内島から集めた200万人を人口の少ない未開発の外島へと移住させます。
トランスミグラシ計画の成功した例
・ 公用語の使用が増加
・ グループ間の信頼の深まりからコミュニティの取り決めが行われる
多様な民族が集まるとコミュニケーションを取る為に言葉を交わす必要が出て来ます。
しかし一部の民族の言葉を使うとどちらが上でどちらが下でといった諍いの元となるので、間を取って公用語を使うことになったという流れのようです。
例えば私は沖縄の石垣の人の使う方言はさっぱり理解できませんが同様に東北のズーズー弁もさっぱり分かりません。この二人がコミュニケーションを取る為に標準語を使うみたいな感じなんでしょうね。
また民族間で集まる際のルールを決めるなどが行われたことで融和が進んで親密度が高くなり異なる民族同士で結婚するカップルも出て来たそうです。
このようにトランスミグラシ計画を策定した目論見通りに進んだ事例もあるようです。
トランスミグラシ計画の失敗例
・ 異なる民族集団で敵対した
失敗したケースはグループの数が少なかった。
その内でグループの勢力の強いものが他のグループを制圧して自分達にとって都合の良いルールを作り快適な生活を手にしようと考える。
上手く他のグループを追放できれば自分たちの国を作ろうとも考えるようになります。
少なくとも自治区のような形を目指そうとするのは理解できます。
極めて自然な発想です。
しかし自分たちが勢力の強くないグループにいるから相手の言いなりになるかと言えばそんなことはありません。その為インドネシアでは後から入ってきたグループに対し元から住んでいたグループが自らの権利回復の為に動き対立して紛争へと発展。それは分離独立運動へと繋がりかねないとして懸念されているようです。
例外を除けばトランスミグラシ計画は失敗したようです。
トランスミグラシ計画の成功と失敗を分けたのは?
成功した例ではグループが多数存在している為に現地で暮らす為に異なるグループ同士で手を組む必要があった。
これが結果として新しく来たグループの人間が元からいるグループと一緒に仕事をすることになり同じ釜の飯を食ってコミュニティも重複するようになります。文化や習慣の違いによって相容れないものについては話し合ってルールを作り異なる民族間でも融和していったという流れのようです。
異民族同士の男女を結婚させれば良いという話も聞きますが、にわとりか何かじゃあるまいし・・・。
婚姻するだけで有効なのは中世の王族かジャングルの原住民位です。現代の良くも悪くも個として生きていくことの出来る社会では極めて限定的な効果しか持ちません。
おそらく異なる民族が融和するには同じ社会の中で同じ職場で仕事を共同で行い共通の利益を見出すことが必要です。
ここまで読んで川口市のクルド人問題のことを言われているような錯覚を覚えませんでしたか?
川口市のクルド人問題が失敗と言える理由
ここで川口市の国籍別の在留者一覧を見てみましょう。
画像ではトルコとなっていますが実際はクルドでしょうね。
先にトランスミグラシ計画で上手くいった要因として多くのグループと融和が為されたと書きました。
融和の条件として必要な仕事面とコミュニティについて川口市の状況を簡単に書いてみます。
クルド人の仕事
解体業と資材置場の職場はクルド人だけ。
コミュニティ
クルド人のコミュニティに所属
自分の家族、仕事仲間等で日常的な日本人コミュニティとの繋がりは無い
共通の利益
なし
現状
川口市にクルド人が住んでいるだけです。
寧ろ所属するコミュニティのことを考えると言葉も通じない上に生活習慣の異なる日本人に合わせるのは苦痛。
自分がクルド人の若者だったらと考えると日本語が話せなかなろうが日本人に嫌われようが別に資材置場と解体業で食っていけるから好き勝手やろうって思う気がするんですよ。
ついでに言葉の分からないふりをすれば警察にも捕まりません。
寧ろ日本人と関わっていると日本語が分かるということで不逮捕特権が無くなってしまいます。
川口市の取る融和政策は?
この状況について川口市は何か手を打っているのでしょうか?
川口市で「多文化共生指針」というのを出していたので見てみました。
「第2次川口市多文化共生指針 改訂版 令和5年度~9年度 (2023 ~ 2027)」
―川口市役所
融和政策と言えるものは無いですね。
クルド人問題の中に含まれる生活ルールについてクルド人側に理解して貰おうという動きも両者が一緒に暮らしていく為の共通ルールを作ろうという動きも確認出来ません。
下手するとクルド人は自分たちが批判されている理由を分かっていない可能性すらあると思いました。
奥ノ木市長が率先してクルド人を助け招き入れてきた訳ですが、この問題をどう解決するつもりなのでしょうか?
最後に
トランスミグラシ計画を見て分かるのは、異なる民族が集まった場合に融和することが重要であるということ。
その為には両者が仕事などで重複したコミュニティを持ち地域の発展が共通の利益となる道筋を付けることが必要となる。
それが出来ない場合に訪れるのは分断と対立。
奥ノ木市長はクルド人たちを助けることで無事に彼らが川口市を目指す道筋を付けましたが、残念ながら日本にやって来たクルド人達を日本に融和させるというビジョンに欠けています。
従ってクルド人問題が発生することは必然です。
クルド人問題は異なる文化と習慣を持った人間を受け入れようという移民問題であるとも言えます。
インドネシアのトランスミグラシ計画は人を単純に移動させれば良いと動かした結果、新しく移住した人たちは元からいる人たちと融和することなく対立を生み出した上に無策な国に失望して分離独立運動にまで発展。
同じく川口市も多文化共生と謳いクルド人を招き入れましたが、その後に両者をどう融和させていくのかという政策に欠けているが故にクルド人と主にはクルド人の被害に遭っている川口市民が対立して国や県に助けを求める以外に川口市自体は特に何もせず失望だけを買っているという体たらくを晒し川口市からの転出者が順調に増加。
このようにトランスミグラシ計画が失敗した要因をそのままなぞっているのが川口市だと思いました。
それでは本日はこの辺で