文明の発生について

新しい芽生え 歴史

1969年に出版された岩波講座の世界歴史の旧版を読み始めました。
正真正銘の古書なのですが内容は面白いです。

今日は文明が如何に発生したのかについて書いてみます。
文明の起源については諸説あるようなのですが、ここでは後氷期に地球全体を襲った乾燥化に対しての対応によって起きたという説を基にして書きます。

それまで人類は狩猟によって食料を得ていました。
しかし気候変動によって獲物となる動物の数が減少します。
そうなった人類が取った行動は主に次の3つ。
1.獲物と移動した気候帯を追って自分たちも北や南に移動
2.その場に留まり大きく減った数の獲物で我慢する
3.少ない動物を飼い慣らし放牧と農耕することで暮らしを立てる

以上の中から新たな挑戦である3番目の選択肢を選んだ人々は生活手段を今まで獲物を狩って暮らす狩猟を主としていものから農耕や牧畜を主するものへ移行。

農耕や牧畜を行うということは、その日の運によってある日は獲物が全く取れず、別の日は大きな獲物が取れるといった不安定な状況から開放されることを意味します。
(獲得経済の際には獲物が取れなかった時にお隣さんが大きな獲物を取ったと聞けば、どうせ食べきれなくて腐っちゃうんだから分けてくれろ等と言って、隣近所の連中がたかりに集まってきます。すると「おう!どうせ腐っちゃうから持ってきな。代わりにうちがオケラだった日はよろしくな」的なやり取りをして、たかったりたかられたりしながら暮らしていた頃が実は一番格差が小さく平等な世界であったと聞くと人間の業とは何なのか等と考えてしまいます)

農作物の生産であれば毎年の収穫物の取れ高の予想もついてきます。これは食生活を安定させることになり毎年の活動もある程度ルーティン化してきます。
例えば、春になったら種を植えて、秋になったら収穫してといったように行動に予定が立てられるようになってきます。そうすると農機具は大体何年で壊れるといったことも読めるようになってくるでしょうからある程度の人口があれば今まで皆が片手間で作ったり繕ったりしていたものが発展して専門的な職人という職業が成立するようになっていきます。
専門の職人が生まれれば技術も発展し、より高度な道具が作られるようになっていく。

他にも農産物の中でも米や小麦といった長期保存可能なものは蓄積することが可能です。
今までなら狩猟した獲物は時間が経つと腐ってしまうので周り近所の人に分けるしかなかったものが、米や小麦等のは保存することが可能なので、米や小麦がたくさん取れたみたいだから頂戴と言っても後で食べるから駄目だと言って断るか貸すようになれば、今までのように分け与えることが無くなるので格差が生じるようになりました。
他にも農作物を育てるのに適した肥沃な場所というのは限られます。その地を巡って争いも起こるようになり、これはやがて戦争と呼ばれる規模に拡大していきます。
これらは文明の発生による負の側面でしょうね。

当初の人の集まりというのは狩猟で獲得した獲物が食べきれない時に獲物を分け与えるのに完全な他人には抵抗があると思うので、ある程度の近親者で集まって獲物を追って移動していたと考えると比較的少人数で集まった野生動物が作る群れに毛が生えた程度の集まりだったのだと思います。
それが農作物を作るということになれば定住することになります。
しかし先ほど述べた通り農業に適した土地は限られているので、その地を巡り争うか共存するかを選びながら人の数も増えていき、いつしか村落となりやがて都市や国家へと発展します。

以上のように考えると文明というものは望むと望まざるとに関わらず変化することを選び挑戦したことで辿り着くことが出来たのだろうと思います。
狩猟等による刹那的な生き方から環境の変化を切っ掛けとして農耕や牧畜を行うようになったことで計画的に生きることが可能になった。

食糧の蓄積を可能とするのみならず知識、技術の蓄積も可能としました。
それらが連綿と続いて今の現代があるのでしょうね。

多くの文明は川沿いで発生しています。多くの人間が生きる為には川の恵みを最大限に活かす必要があり治水や灌漑が必要になりますが多くの人間が集まれば設備も大規模なものが必要になってくる。その為には人の力を効率的に働かせる必要があります。その為に集まった人々を指揮する人間が必要になります。その指揮者は他の長などと呼ばれるようになり、時には奪いに訪れた侵略者と戦うために戦いを指揮するでしょう。そうしていつしか王と呼ばれるようになり有象無象の人の集まりはやがて国と呼ばれる集団へと発展し、それはいつしか文明と呼ばれるようになっていったのではないでしょうか。

それでは今日はこの辺で

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