海

鎖国について

今まで幕末のことを書き、最近だとペリー来航に主眼を置いてブログを書いてきたのですが、よく考えてみたら、なぜ日本は鎖国を行ったのだろうかという疑問に突き当たりました。

鎖国が行われた原因としてはキリスト教が広まることによって日本が侵略されることを恐れた為であるとは聞くのですが、それは豊臣秀吉の時代から危惧されており徳川幕府を開いた徳川家康も1612(慶長17)年にキリスト禁教令を出してはいますが、外交政策に関しては翌年にイギリス商館の開設許可と交易を行う許可を与えており、他にも日本に漂着した外国人のウィリアム・アダムス(三浦按針)を外交顧問に置くほど力を入れ彼には250石の領土を与えるほど厚遇しました。
江戸時代の初期まではポルトガルを始めとした海外からの船も数多く日本にやって来ていましたし明との貿易を行う朱印船貿易も頻繁に行われています。もしも他藩が貿易によって幕府を出し抜こうと考えたとしても幕府が他藩に対して他国との貿易のルールを決められる立場に有り、尚且つ貿易に携わる人材を揃えることが出来ていると考えると他藩に密貿易を行われるよりも正当なルールの元で貿易を行わせた方が幕府のリスクも減ることになるのではないかと考えると鎖国を行うメリットが何なのか分からなくなります。

実際にペリーが来航する時期は早い段階でオランダから齎された風説書によって幕府に知らされていたのですがオランダはアメリカの新聞からその情報を得たそうなので、貿易が西洋に向けても行われていたなら西洋列強の情報や技術を取り入れることで明治維新に対して幕府は違った展開を見せることが出来たのではないかと想像します。
しかし幕府でそんな事が行われることもなくペリーが実際に来航した際の具体的な対策を取ることが出来ず現場の役人たちが何故、自分たちだけにでもペリーの来航を知らせなかったのだと抗議が出たのが現状であり、長い安泰が幕府を腐敗させた結果だったのであろうと考えると組織の中でダイナミクスが欠けていたのだろうと思わざるを得ません。

また徳川幕府を終わらせたのはペリー来航によって幕府の弱体化が露呈されたことに端を発していると考えると結局は鎖国政策が幕府を終末に導いたという見方も出来るのではないかと思います。そうなると幕府にとって鎖国の必然性とは何だったのだろうと疑問に感じたので調べたものを複数回にわたって書いていこうと思います。

よろしければ暫くお付き合いください。
それでは、今回この辺で