さざなみ軍記
井伏鱒二が全て想像で描いたという物語。
源氏に追討されて逃げて行く平氏の一門の姿を日記形式で展開していく。
主人公は日記の書き主の少年になり途中で彼の成長していく姿なんかも見える。
負けて滅ぼされる側の残酷さなんかも所々のさりげない描写から伝わってくる。
例えば逃亡する途中の村で抜け出した女房達、つまりは以前は宮中や貴族の屋敷に仕えた平氏一門にいた頃の女上流階級の女性達が、またその村に戻って来た時には売春婦として暮らしを立てていたりといった具合。
いくら礼儀作法等の知識や教養を持っていても当時の村では使う機会はなく生活に役立つものでもない。
生きるためには春をひさぐ他ない。
そこには悲哀の漂う隙間さえ無く、ただ残酷とも言える現実があるだけです。
おそらく昔の征服者達というのは徹底的に負けた側の人達を虐げてきたのだろうと思う、だからこそあれだけ必死に戦いを繰り広げていったのだろう。
源氏と平氏との戦いとなれば源氏側が負けた側であるだけに積年の恨みというのは筆舌に尽くし難いものがあるのだろうと思う。
また完全なる階級社会でもあるのだろう士族意外の人の扱いは正に人に非ずといった具合で、例えば乗り込んだ村で男を船の漕ぎ手として無慈悲に徴収したりと感情の差し挟む余地さえない。本当にたまったもんじゃないよな、いった具合である。
この物語のキーワードは成長。
主人公の少年は勿論の事。作者の井伏鱒二も年月を隔てて描いただけに途中文体も変わっていきます。
そのため最初の頃の勢いのようなものが消えていったりというようにムラがあるなというのが率直に思ったところ。
ジョン万次郎漂流記
漂流して、海外の船に拾われた事からアメリカ本土で新知識を身に付けて幕末の日米交渉に活躍する少年漁夫の生涯。
彼の心理描写のようなものは余りないのだが不思議と彼の躍動感のようなものがそこはかとなく伝わってくる。
彼は鯨を追いまわすことを夢見るが結局それは見果てぬ夢として終わってしまう。
この人の人生は正に数奇なものであったと言うのが一番相応しいものだと思う。
幕末であるとかこういった時代の躍動期に生まれつき、たまたま漂流して外国の船に助けられるといった偶然に出会うというのがまずは凄い確率だと思うのだけれど、こういった偶然を切っ掛けにして自分の未来を切り開き、異例の出世を果たすものの、それでも願望は果たせずに終わってしまう。
ある意味で時代に翻弄された人の話であったという事も出来るのかもしれない。