学校教育にIT環境の整備が必要なわけ

日の出 社会派気取り

最近は文部科学省でも学校のICT環境の整備指針が決められ、学校のIT環境もだいぶ整えられつつあるようです。

2018年度以降の学校におけるICT環境の整備方針を見ると教育用のPCも一人一台とまではいかなくとも3.6/台となっています。

筆者は離島や人口の過疎化が進む地域などでは一人一台に増やす必要があると考えています。

例えば僻地や離島などに住んでいる生徒の場合、自治体は教師の数を確保するだけで精一杯で質にまで手が回り辛い状況があるのではないかと想像します。
これは教師の質の問題ではなく単純にマンパワーの問題として存在しているのではないかと考えています。
なぜなら生徒の数が少なく一学年辺りの人数が2、3人となった場合は複数の学年を一人の教師が見ることになるのは避けられません。
筆者は以前に何度かセミナー講師をさせて頂いたことがあるのですが1時間程度のセミナーでさえ資料を作成したり話す内容を考えるという準備は大変です。
これを教師は日々のルーティンとしてこなしていると思うと、いくら教科書に沿って補助教材を使えるとは言っても、その困難さは想像して余りあります。
授業の準備という部分だけを単純に比較すると、生徒数の多い学校の教師は一学年一教科か一クラス一日分の授業の準備を行えば済みますが、これが一クラスに複数学年を同時に見る授業となると、前者の用意する準備×同時に見ている学年分を前者のクオリティで生徒に提供するにはかなりの困難を伴うであろうことは想像に難くありません。
従って両者を比較すれば、授業の質という点に於いて差が生じるのは致し方無いように思えます。

その差をIT環境を整えることで埋められる可能性があるのではないかと思っています。
例えば僻地や離島の生徒はインターネット利用したデジタル教材、もしくは動画などを活用した授業を受けて、教師は各生徒の補助をメインにすれば、教師の負担は大きく変わりますし改善を行っていければ何れ授業の質も都心部と大差ないものを受けることが出来る可能性があると思えます。
それどころか寧ろ受け持つ生徒の数が少ない分、教師の手が生徒に行き届くことで都心部を超える教育を僻地の生徒が受けられる可能性すら考えられます。

他にも教師の人的な問題によって授業の質が低いものを受けざるを得ないという可能性が存在すると仮定すれば、同様に都心部の学校でもITを利用した授業を受けることで一定の質を担保することが出来るようになります。
他にも生徒は学校に通わずとも自宅でインターネットを通じた授業を受けられるようになることで、例えばいじめなどの被害によって教育を受けられないという不利益を被らなくて済むようになります。

今の教師は一昔の教師と違ってやるべきことを多く抱えています。いじめ問題についても報道によって教師の質について疑問符を持つことが少なくありませんが、それは単純に教師の許容量を超えた業務によって圧迫されたことで生まれた綻びであるのかもしれない等とも思います。
そう考えると他にも書類作成などの業務にITを活用していくことで教師の負担を減らすことが求められているのだろうとも思います。
それに伴って自動的に教師の業務を細分化していくことが可能になり、その中で教員資格を持たずとも行える仕事を抽出してアウトソーシングすることも可能になります。

今後、生徒たちが成長して大人になった際に求められる仕事の内容は人工知能の発達などによって単純労働が減少し代わりに求められる業務は高度化していく可能性が高いと考えれば、それに対応する為に質の高い教育を生徒たちに受けさせることが必須です。
生まれた場所や環境によって受けられる教育に差異が生じていると思われる現状を正すにはITの利用が必須です。その整備を急ぐのは道理であるように思いました。

それでは今回この辺で