そうだ京都に行こう!!1日目 其の1

西本願寺 御影堂徒然日記
西本願寺 御影堂

そうだ京都に行こう!!と思ったので京都を彷徨って来ました。

もともと引きこもり体質で、親がお金持ちで優しくてニートになることを許してくれたら遠慮なくニートになりたい人なので旅に出ること自体が珍しいのです。

今回は国から給付金も貰ったし、GOTOキャンペーンも始まったということで、ここは一丁国の経済回したろかい!!と思い立ち、どうせ行くなら近場ではなく電車に乗って2~3時間ほど揺られて到着する位の距離感が良いなぁと思って旅行サイトを適当に見ていたら京都の新幹線往復券付きで2泊3日の朝食付きプランをお値打ち価格のプランを見つけたので京都に行くことにしました。

当日は東京駅から新幹線に乗り換えて京都へと向かいます。
新幹線の中では駅弁をつまみにしてビールを飲もうと思って駅ホームの売店でカツサンドとビールを買い込んで乗り込みました。
席に着いたタイミング位で発車しましたので5分程度の余裕は持っていると思っていたので結構ギリギリのタイミングで乗り込んだことに気付き軽く冷や汗を掻きました。
折角ビールを買ったのに新幹線の中ではなく、駅のホームの椅子に座って一杯なんていうのは悲しすぎます。
時間には気を付けなくてはと改めて思い、ビール缶をプシュッと空けてカツサンドで一杯やります。
天気予報では大雨の予報です。
京都に近づけば近づくほどに雲は濃くなっていきます。

京都に近づくほど雨雲が濃くなっていく

京都に近づくほど濃くなる雨雲


ほぼ5年ぶり位に勇気を出して旅に出たのに!
神様酷過ぎませんか?
そうか、神は我に家に引き籠っていれば良いと申されるか!
ならば引き籠れるだけの金をくれーい。
と我が身の不運を嘆いていたら京都に着きました。

京都駅

京都駅


12:30頃に京都に到着。
駅に着いたら何か京都っぽいものでも食べるかと思っていたのですが、カツサンドの腹持ちは予想を超えて良かったので、そのまま宿泊するホテルに向かいます。

ホテルのチェックイン時間は15:00からだったのですが、ごり押しで行けるだろうと正面突破を試みようというのは嘘で、チェックイン時間前でも荷物を預かって貰えるか事前に問い合わせた際に「おいおい、コインロッカーに預ける金も持ってねえのかよ。貧乏人が京都まで来るとはお気張りやす」と思ったか思わなかったかは知りませんが荷物を預かって貰えることになっていたので預かって貰いました。
フロントのお姉さんは結構な早口で荷物を持つと同時位に「チェックインは15時からですから、またお越し下さい」と、チェックインを早めようと交渉するのを阻止しようとしてきます。
うん、いや、まぁ、私もホテル業界にいたことがあるのでチェックイン時間前にやって来てごり押しで早く入ろうとする客のうざさは知っていますし、実際にホテル側としても困るというのは知っているのですが、そうか、そういう客に見えたか・・・。
なんで分かったんだろう?

そんなこんなで京都観光に出発です。
先ずは新撰組が滞在していたという西本願寺へと向かいます。

しかし、京都の人たちの客あしらいを見ていると、幕末の頃、いきなり刀を持った田舎者がやって来て理不尽な要求をされたら断りたくても目の前に刀を突き付けられたら無理な話というものです。そういったならず者の相手をするとなれば、事前に相手の要求を察して相手に要求を言い出し辛い雰囲気を作ることに長けざるを得なかったのかもしれないし、また相手から理不尽なことをされて感情をストレートに出せば相手が激昂して切られてしまうので、せめて嫌味や皮肉といった遠まわしに相手に伝える事で自分の感情を処理して、上手く行けば時間が経ってから相手が気付くことで殺されずに抗議をすることが出来るという。なかなかハードな世界の中で身に付けた術なのかもしれない等と思いながら歩いていると、西本願寺に到着しました。

興正寺の門

西本願寺だと思ったら興正寺だったでござる


いやあ、新撰組が滞在したとあって立派な門構えだなぁと思っていたら、隣の興正寺でした。

西本願寺 北小路の塀

西本願寺 北小路の塀


気を取り直して塀伝いに歩くと今度はしょぼい、いえ、些か小さな門をくぐると興正寺と西本願寺の間を通る小路に出ます。生意気にも寺と寺の間の小路に入る場所にも門を設けるとは、流石は京都と変な所で感心してしまいます。
因みに西本願寺側の塀には近づくとセンサーが感知して警報が鳴るという立て札があり、確かに見ていると真っ白な塀は見る者の芸術心を刺激ます。きっと同じようにバンクシー気取りのヤンキーか何かが下手糞な落書きをして警備がセットされることになったんだろうなぁと勝手に想像します。

西本願寺総門、商店街の入り口じゃないよ

西本願寺総門


今度こそ隣の西本願寺に到着です。
堀川通の向かいに見える大きな門も立派で、京都は商店街の入り口まで立派な門構えなんだなぁと思っていたら西本願寺の総門でした。
昔はあそこまで西本願寺の敷地だったのね。と驚いたりします。

新選組は始め壬生寺に屯所を構えていたものが隊員が増えて所帯が大きくなったことで西本願寺にその拠点を移したようです。
しかし程なくして西本願寺が資金を持つ形で近くの不動堂村に屯所が移った所から見ると、やっぱり迷惑だったんでしょうね。
考えてみれば神聖なお寺の境内で剣の稽古だけでなく砲術の訓練も行われている訳ですから、お参りしているところで剣の気合の声や砲の音が響いているとなれば信心もへったくれもありません。頼むから金は出すから出て行ってくれとなる理由も分かるというものです。
しかも不動堂村の屯所は広さ1万平方メートルと広大な大名屋敷と比べても遜色ないほどの施設だったと聞くと、そこまでして新選組に出て行って欲しかったのかと驚きます。西本願寺側からすれば疫病神以外の何者でもなかったんでしょうね。
新選組に限らず、幕末維新を謳う人々は正義は我に有りと恐喝紛いの手で商人などから金を毟り取るというのも当時は日常であったようです。
早い話、見方を変えれば志士というのは無法者以外の何者でもなかったのだろうとも思います。しかし幕府は弱体化してこういった者達を取り締まる所かその力を借りる始末です。
幕末の頃の幕府というのはそれ程に力を失った状態でもありました。
それを踏まえると幕末維新というのは持つ者と持たざる者の争い。本来であれば持っている者であった幕府の弱体化に付け込み、そこから奪う為の戦いであったという側面もあったのかと思え、至極当たり前ではありますが、上に立つためには下を従えるに相応しいだけの力を持つ必要があるのだという身も蓋もない事実に突き当たり、皆で手を取り合って争いのない平和な世界というものに人類はいつか辿り着くことが出来るのだろうか?という疑問を抱きます。
もしも幕府が他を圧倒出来るだけの力を保持したままであれば幕末維新が起きることもなく、その争いによって無数の命が散ることも無かった筈です。しかし当時の弱体化した幕府に取って代わる勢力が現れなければやはり外国勢力によって日本がいいように食い物にされていた可能性も否定できません。結局のところ先人の犠牲があったことで私たちは今の平和を享受できているのだとも言えます。
そう考えて阿弥陀堂に入り、せめて冥福を祈りました。

西本願寺 御影堂内の灯篭

西本願寺 御影堂内の灯篭


今回はこの辺で