週刊文春2015年4月2日号記事「韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!」を読んで思ったこと

陰鬱な曇り空 社会派気取り


読んだ記事は当時TBSワシントン支局長である山口俊之さんが取材の元に書かれた記事であり週刊文春の2015年4月2日号に掲載されていたものです。
この記事が掲載された後、山口氏は停職した後に地方ローカル局へ左遷の提示を受けるという曰く付きの記事となりました。

この記事自体は紛れもないスクープであり考えさせられるものだったので、ここで取り上げてみたいと思います。

韓国がベトナムで慰安所を経営していた?


日本と韓国の間で従軍慰安婦問題は大きな問題として横たわっていますが、この問題を憂うある人物が存在しており山口氏にベトナム戦争時代に韓国が南ベトナムで慰安所を経営していたという情報を伝えたことが、この山口氏が取材に取り組む発端であったそうです。

慰安婦問題において韓国に『加害者』の側面が加わる事になる。それをきっかけに、朴大統領と韓国国民が頭を冷やし、真摯に慰安婦問題に向き合うようになれば、事態は変わるかもしれない

またベトナム戦争の資料についてはアメリカの国立公文書記録管理局(NARA)に資料の保管が存在しており、先の人物のアドバイスもあり山口氏はここの資料を調査する事で事実を裏付けています。

ベトナム戦争参加の経緯


韓国軍はアメリカと交渉してベトナム戦争に参加する事によって、
・派兵規模に応じた補助金支給
・対米移民枠の設定
以上を報酬として1965年から31万人の韓国軍を投入。

アメリカに残る資料から韓国軍の行状についても浮かび上がってきたと言います。

ベトナム戦争時の韓国軍の犯罪について


項目別に挙げると、
・市民の虐殺
・強姦
・為替偽造
・物資の横流し
・麻薬密売

といった犯罪記録が残されていると言います。
これに驚いたのかアメリカは韓国対して、これを止まるよう繰り返し書簡を送ったそうなのですが止まる筈もなく、後にライダハン問題へと繋がっていきます。

更にベトナム駐留米軍の軍政部と郡警察の犯罪記録には外交文書よりも更に生々しく夥しい数の韓国兵による犯罪記録が残されているといいます。
戦後にベトナムは韓国が日本に対して行った従軍慰安婦問題として責任追及を行って賠償と謝罪をさせて有利になるように動けば良かったのではないかと思うのですが、ベトナムは韓国との経済関係を重視して韓国に対してそういった動きは取っていないようです。
ついでに言うならサイゴン市中心部には「The TurkishBath」があり、これはトルコ風呂という奴ですね。

そこでは売春行為が行われており、ベトナム人女性が働かされていました。
まさに韓国が日本に問題としてあげる従軍慰安婦問題をそのまま韓国がベトナムに対して行っていた恰好ですね。

実際に米軍とベトナムで家宅捜索を行った結果、そこは韓国軍による「韓国兵専門の慰安所(Welfare Center)であると結論付けられており資料も残っているようです。

また韓国兵専門の慰安所とする根拠として
・慰安所であることが示された押収資料に韓国軍の福利厚生を担当する特務部次長の署名が入っていた

・家宅捜索によって押収物の返還を求める書類を韓国軍幹部が提出


この記事を読み日本と韓国は慰安婦問題に向き合う事が必要があると感じました。

現状、日本側は慰安婦の問題に関して河野洋平官房長官談話を発表しており現内閣もこれを継承しています。
河野洋平官房長官談話内容

そして韓国の元従軍慰安婦の人々が日本軍に強制されて慰安婦とされたという言い分を明確に否定しないという事は彼らの言い分を認めたという事です。
そうであれば彼らが日本という国は元慰安婦の人々に謝罪するべきであると声高に叫ぶのは当然の事のように思えます。

そうなると、その流れの延長線上で先日行われた2015年12月28日に発表された日韓外相の合意については失敗する公算が高いように思えます。自分が韓国国民だったら納得しないですし元慰安婦の人々については言わずもがなです。

日本人の側も今回の合意に対して全員が納得しているとは些か考え辛いように思えます。もし韓国がこれで納得したとしても今度は日本にしこりが残るのではないでしょうか。

この問題は多分に感情の問題が大きいように思えています。そして感情に感情で対応しても大抵は水掛け論に終始するだけです。日本の対応は、はぐらかそうとしているように見えます。それは相手を下に見ているのと同義です。それを相手に察知されれば馬鹿にするなと怒るでしょう。本当に必要なのは、はぐらかす事でもなく、なだめる事でもなく、徹底した真相究明とそれを証明するために戦う姿勢だったのではないでしょうか。

結局、この問題については真相が明らかにされなければ、前に進む事は出来ないのだろうな。という当たり前の結論へと至る訳です。