芸能人の背負う虚像と実像

スタンドという虚像 徒然日記

つい最近になって渡辺麻友が芸能界を引退しました。

筆者は特にファンであった訳でも無いのですが、それに関連したニュースの中で週刊誌が彼女に貼り付いていても最後までゴシップ記事を取れなかったというのを見て思ったことを書いてみたいと思います。

先ず大変だったんだろうなぁといういうのが率直に思う所です。

彼女にスキャンダルが存在していないなら自分の欲望みたいなものと対峙するのは相当な苦労を強いたのではないかと思いますし、隠し通したなら、それはそれで相当な苦労を強いたでしょうし女によくある自己顕示欲のようなものと折り合いを付けるのもやはり彼女を消耗させたのではないかと想像します。

そして、これは彼女に限ったことではありませんが、通常、一般の人間およびファンから見た芸能人というのは実像と乖離していることが殆どである筈です。

それは所属している芸能事務所として、例えば対象となっている芸能人がキャラクターとして面白いけど女優として売ろうと考えた場合に、それがマイナスに働く可能性があるので方針としてバラエティに出すのは控えよう。出演させる作品も大作のヒロイン役に絞ろう。そしてヒロインなので余り台詞が多くなく見る者のヒロイン像を投影させるものにしよう。等と考えて、目論見通りに話が進んだ場合、本人は多数の描く理想のヒロインと言う虚像を背負うこととなります。

そうなった場合、本人の実像を表に出すことは事実上の禁止事項となる筈です。それはマネージメントの方針としてはヒロインという役柄を演じられなくなってきた場合や単純に売れなくなった際に徐々に出していく打開策として温存しようとすると予想するからです。

しかし、それならまだ良い方で、運が悪ければ事務所のマネジメント方針として作った別のキャラクターを演じることが決まってしまうと今度は別の虚像を背負うことになる可能性だってある訳です。

それでも家族や恋人、仲間内で本来のキャラクターに戻ることが出来れば良いですが、それすらも殆どないとなった場合に、本人の実像はどこに行くのでしょうか?

よくあるゴシップ記事のようにマネージャーや仕事先のスタッフに冷たく当たったりすることで発散することが出来れば良い方で、仕事先のスタッフとの関係も芸能活動を行っていく上で将来の財産となると真面目に考えれば、それすらも出来なくなってしまいます。

無理矢理に抑圧されたものというのは逃げる先が無ければ何れ何処かで爆発します。

更に、これが売れていなければ注目を集めることも無いので普段は気を抜いて過ごしています。となって、バイト仲間や家族には芸能人として活動している時は、芸能人としての仮面を被っているとでも適当にうそぶいておけば良いですが、これが売れている芸能人なら常に自分に注目があつまっている筈で、本人への負担度は注目の度合いに比例して増していく筈です。

本来、人というのは自分を理解されることを望む傾向があるように思います。そう考えると実像と虚像とが乖離する距離が長ければ長いほど本人にとってストレスとなって負担となる筈で、それを逃がす先がなければ心身を蝕んでいきます。

これが男性芸能人なら、例えば顧客の秘密を守ってくれる特殊なお店に行ったり、それほど深刻でなければキャバクラ等に行って発散することが出来るのかもしれないと思うのですが、これが女性となった場合にはホストクラブ等になってくるのではないかと想像するのですが、残念ながら全ての女性に当てはまるストレス発散にはならないと考えると(いや、これは男性芸能人にも言えることではあるのですが)そういったストレスを逃がす先というものを見つけることの出来なかった注目度の高い芸能人というのは、隠れて異性と付き合うといったことでもしなければ、やがて虚像に押し潰されざるを得ないものなのではないだろうかと思ったので書いてみました。