よく年を取ると頑固になるであるとか怒りやすくなると聞きます。
それを揶揄して暴走老人という言い方までします。
こういった高齢者がキレやすくなる原因とは何なのでしょう。
身体的なものに理由を求めるなら高齢と共に感情を抑えたり判断力を司る「前頭葉」の働きが弱くなっているというのが理由に挙げられると思います。
そのために若く脳に器質的な問題がなければ多少の怒りを感じても、それほど怒る程の出来事ではないと判断して怒りを抑えることが出来ます。
しかし年齢と共に脳の収縮が起こり「前頭葉」が衰えているために、怒る程ではないという判断を付けられなくなっており、且つ発生した怒りを抑えることも出来ずに所謂キレる状態になってしまうという流れに逆らえなくなってしまう。
現実問題として高齢者の暴行事件の数は増加傾向にあるとも聞きます。
かく言う私も電車の中で隣に立つ高齢の男性が突然、後ろに立つ男性に「寄り掛かって来るな!」と怒鳴って掴み掛っていったのを見て驚いたことがあります。
そこで高齢者について更に考えてみます。
先ず高齢者と呼ばれる年齢についてですが、
前期高齢者が65歳以上
後期高齢者が80歳以上
とされています。
昔と比較して今の高齢者は元気な方が多いので仕事を引退して体力と暇を持て余している。
そういった中で何かの切っ掛けで怒りが抑えられなくなって暴力事件に発展させてしまうのでしょうか?
調べてみると鉄道で駅員に暴力を働く年齢というのは60代が一番多いのだそうです。
国連は60歳からを高齢者としています。
そこで60代からを高齢者として考えてみます。
仕事の定年が60歳とすると仕事を引退します。
会社から離れます。
よく引退した夫を妻が濡れ落ち葉のようだと揶揄します。
つまりは夫は引退してからやることも無く暇なので何とはなしに妻にくっついて来る。
しかし妻は家庭以外にも社会の繋がりを持っていてやることがあるので、それが煩わしい。
会社のいた頃はある程度の仕事があり職場での人間関係もありましたが、それは定年によって会社を離れたことで無くなっています。
今の高齢者は仕事人間として過ごしてきた世代です。
従って地域のコミュニティに参加していない人間が殆どです。
彼等には所属するコミュニティがない。
更に会社にいた頃は年功序列で基本的には敬われて過ごしている筈なので、今さら頭を下げて新しいコミュニティに入れるかと言われるとそれも難しい。
では自宅で読書や映画鑑賞などをして過ごせるかと言えば年齢を重ねて集中力が続かず、ずっとそうして過ごすのも難しい。
しかし昔と違って介護状態でも無ければ今の高齢者は元気です。
体力はあるのに暇を持て余す。
しかし確実に体力は落ちていくし、それを自分でも自覚している。
確実に死が近付いていることにも気が付いている。
その頃には現役時代に不摂生を重ねた気の早い同僚が亡くなった知らせも届くし、死亡とはならなくてもヘビースモーカーだった友人も少し前に倒れて気が付いたら人工呼吸器をガラガラと引き摺って過ごすようになっている。
しかも自分が今まで慣れ親しんできたものが技術の発展と共にどんどん変わって行く。
周囲じゃスマートホンだ何だと言っているが今さら新しいことを覚えるのも面倒くさい。
昼間から酒でも飲もうと思ったらいつしかコンビニのレジで年齢確認のボタンを押せと言われるようになっている。
「この姿を見てなぜ未成年だと思うのだ」と喉元まで出掛かるのを抑える。
こんなことを繰り返している。
人の真の幸せとは何か?という問いの答えとして「自分の生きる意味を見つけることだ」と聞いて納得したことがあります。
定年を迎えた何もしていない高齢者はどうでしょうか?
過去には仕事をすることが生きる意味と言えたかもしれませんが今は何もありません。
世の中から取り残されて死を待つのみです。
次第に自分が理不尽な目に遭っている被害者だと思うようになるのかもしれません。
世の中から取り残されていることは社会への怒りへと繋がっていきます。
自分が社会という輪の中から外れているような気分になる。
そういった理不尽を自分に押し付ける社会を憎むようになる。
その社会を構成するのは一般人です。
次第に自分以外の幸せそうな人々を憎悪して過ごすようになる。
こういった日々を過ごすとどうなるかと言えば日々のやり取りの中で怒りをため込むようになる。
怒りは繰り返されることで増幅される性質を持ちます。
更に一人で自宅で過ごしていれば自尊感情が過大になっていきます。
なぜ人は自分を敬わないのだろう?
世間が悪い。
社会が悪い。
ある日、怒りが爆発します。
多分それは些細なことです。
例えばスーパーでお釣りをキャッシュトレイに音を立てて置いた。
お客様に敬意を払っていないからだ。
電車が事故によって遅れている。
駅員の怠慢が原因だ。
怒ったことで相手を震え上がらせてやった。
俺の偉さが分かったか。
そうか、こうして分からせてやればいいのか。
暴走老人が一人出来上がりました。
では暴走老人にならない為にはどうしたら良いのでしょうか?
人は社会的な生き物です。
つまりは社会に参加することが必要です。
一番手っ取り早いのは再び働き始めることです。
働くということは誰かがやらなければならない仕事をしているということなので立派な社会貢献です。
給与が出れば税金も納めるので、それも国や地方自治体への貢献になります。
加齢によって仕事を再開するのが難しいなら、趣味の集まり等のどこかのコミュニティに参加する。
そこで普段から会うことの出来る茶飲み友達を作れるとなお良いでしょう。
ボランティアに参加して地域の為に活動しても良いかもしれません。
これは無給ですが人から感謝されることで社会に貢献していると実感できる筈です。
昔の人の言う40代までは自分や家族の為に生き、50代からは社会の為に生きるという言葉は実に理に叶っているのだと気付きます。
(おそらく、この言葉が言われた昔は仕事で引退する年齢が50才位だったのだのでしょう。
因みに定年は昭和初期55才→2013年60才→2025年65才と移り変わっています)
ここまで書いていて気が付いたのですが、各地で頻発する生きるのが嫌になったと言って他人を巻き込む無差別殺人を起こす人々も、もしかしたら根っこには同じ理由があるのかもしれません。
やはり人は社会と関わり続けることが必要なのだと思いました。
それでは今日はこの辺で