昔のツッパリ教師はモテてたけど、いま思うとアイツとんでもない奴だったなという話

ツッパリ 徒然日記

今はどうか知りませんが、昔はヤンキーというのはもてました。
ですから異性にもてるからという理由でヤンキーになったりする奴なんていくらでもいたんです。
そのヤンキーという属性に教師という属性が加わるとどうなるでしょうか?
めちゃくちゃもてます。
私が通っていた中学校にはそんな教師が存在していました。
その教師は生徒と結婚して離婚。その次も生徒と結婚するほどモテていました。
そんな教師のことを思い出したので今日は書いてみます。

私が通っていた中学校は割と平和な学校でした。
そりゃあ年に1度はどこかのヤンキーがバイクで校庭を走り回って武闘派の教師が追い掛けるというハートウォーミングなイベントはありましたけど、それ以上に校内が沸くのは犬が校庭に迷い込んで来た時だったりしました。
そんなのどかな片田舎の学校なので異性との交遊もあまり見掛けませんでした。

少し当時の校内暴力について書きます。
当時は教師の校内暴力で生徒が死亡したり重傷を負ったりというのが年に何度かワイドショーなどに取り上げられて批判されてはいましたが、まだ必要悪として許されている部分がある時代でした。
我が中学校もご多分に漏れず生徒指導は武闘派教師達が担当しており、暴力を禁止された今もその権威を保つことが出来ているのかは知りませんが、代わりに校内で激しいいじめというのも無かったので今になって思うと時に暴力という手段を用いていたとは言え校内の平和を維持することは出来ていたので彼等は何だかんだ言いながら優秀だったんだろうと思います。
私も生徒指導の教師にはおっかないので近付きたいとは思っていませんでしたが、代わりに彼等は学内の手の付けられないヤンキーと戦っていたり、たまにやらかした筆者も殴られたりもしましたが不条理な理由では無かったということと何はともあれ、そのお陰で学内での平和な生活を送ることが出来ていたので必要悪というのはこういうもののことを言うのかと受け入れていました。

そこでヤンキー教師、いえ、ここでは昔風に以降はツッパリ教師と呼びたいと思います。
ツッパリ教師は生徒指導を担当してはいませんでしたが学生時代は自分もヤンキーだったと自称して生徒を殴っていました。
私はこのツッパリ教師が大嫌いだったのですが、その理由は私が見ていてオマエ単に生徒を力で抑え付けてるだけじゃねえかと思える理由で暴力を振るうケースが多かったからです。
私はツッパリ教師と下手に関わって殴られたくないので、なるべく関わらないようにしていたのですが中学3年の受験で大変になる時期でよりによってでツッパリ教師の専門科目に当たり週に1、2時間ではありますが関わる羽目に陥ります。そこでツッパリ教師の人となりを以前よりは知ることが出来たことで、この教師とは必要なこと以外は口を利くまいと決意しました。その通り必要事項以外は話すことなく卒業出来たのは不運な私の数少ない幸運の一つです。

ツッパリ教師は2度とも生徒と結婚しています。
実に羨ましい。いや、けしからん話です。

ツッパリ教師の人間的魅力は顧問をしていた部活の所属生徒が全員ツッパリ教師が嫌いで全員退部して廃部になった程のカリスマ性でこのモテ具合な訳ですから教師が生徒に手を出す事件が今になっても無くならないのも致し方ありません。

しかも教師という権威を持ちながら人気者のヤンキー風を吹かして俺はオマエ達の気持ちも分かる味方だぜ的な顔をしているのですから、最近までランドセルを背負ってた女生徒に手を出して落とすなんて赤子の手を捻るみたいに簡単だったんだろうと思います。
(ちなみに私の小学生の姪っ子は数百円のお菓子を買ってあげたら「おじさんと結婚したげる」と言ってくる程のアホさ加減ですからね。これに毛が生えた程度の女子なんか大して変わらないですよ。しかし我が姪ながらチョロすぎる。本当に結婚する時は相手に舐められるからもうちょっと良いものをねだろうな)

しかし流石のツッパリ教師も長い結婚生活を過ごすと化けの皮が剥がれてしまうようで、結果として一度目の離婚へと至っているのだと思いますが、もう少しこのツッパリ教師がもてた理由を考えてみたいと思います。

ツッパリ教師はヤンキーを自認しているだけあって生徒をよく殴っていました。私もその教師の歩く先を気付かずに塞いでいたという理由で胸ぐらを掴まれて凄まれたことがあります。

人の心のメカニズムというかエラーのようなものだと思うのですが、吊り橋効果というものがあります。それは恐怖を感じた際のドキドキを恋をしているのだと錯覚するというものです。もしも筆者が女性ならヤンキー教師から凄まれた時に恋と勘違いした可能性もあったのかもしれません。

ヤンキー教師「おう、こら、道塞いでんじゃねえよ」
胸ぐらを掴む
私「ひぃい、すみません」
手を放して教師どっか行く(死ね!)
(はぁっはぁっ。この胸のドキドキは、もしかして恋!?)

本音が少し漏れていましたが概ね以上のような具合になっていた可能性もあるのかもしれません。
もしかしたらBLがこれだけ持て囃されている現代でこれが起きていたら「ツッパリ先生!そのウ〇コみたいなダサいリーゼントが堪らんのですわ。それでワシのケツを掘ってくれい!!」と何故かバンカラ風に迫っていた可能性だってあるのかもしれないと一瞬おもったのですが、うん。いや、それは無いな。

それとツッパリ教師に対しての生徒からの人気は、好きが多めで大嫌いが少数です。
好意を感じる部分というのは、教師でありながらヤンキーということで生徒に心理的な近さを感じさせたこと。私はコイツが生徒を守るために身体を張るような真似は絶対にしないと思っていましたが多くの生徒達にはこの教師が自分たちを守ってくれるような錯覚を抱かせることが出来ていたのだと思います。
嫌われる要因としては、結局、自分に都合の悪い部分を手っ取り早く暴力で抑え付けて、自分の人気を背景に俺は曲がったことが嫌いだとかお為ごかしを言って正当化しているだけだという部分になると思います。大嫌い派の生徒の中には一足早く高校受験が終わって、そいつの授業は体調が悪いと言って絶対に出ないという生徒もいた位でした。

どうも人というのは高圧的に抑え付けられた時に、それを正当化する為に抑圧する人間を好意的に捉える人と、そのまま素直に嫌悪感を感じる人間とに分かれる傾向があるのかもしれません。
おそらくパワハラ屑野郎の経営するブラック企業でも、その経営者を崇拝する社員が出てくるのは同じ理由なのかもしれません。
それは前者の好意を抱く人というのは誘拐や監禁事件で被害者が犯人と長い時間を過ごすことで犯人に対して好意を抱いてしまうストックホルム症候群と似たようなものだったのかもしれない等と今は思います。

当時の筆者はヤンキー先生のこと俺は好きだなぁみたいなことを言っている奴に出会うとこいつは飼い犬だなと心密かにバカにしていたのですが、今になって思うとそれは人間の持つ受け入れ難い業のようなものを目の当たりにした筆者の恐怖であったのかもしれません。

更にツッパリ教師には教師という権威が加わるのです。
それは警察なのに悪人という最悪の組み合わせです。
中学生から見たら教師というのは少数の例外を除けば立派で全能な偉い人であるという何となくの思い込みがありました。
アプローチされる女性は、その権威を持った人間に選ばれるという優越感のようなものを得られるのかもしれません。

以上のように件のツッパリ教師は、教師とヤンキーの持つモテる要素の美味しいとこ取りをしている状態だったのですからモテない筈が無かったのです。
その教師も今となっては再び嫁さんに愛想尽かされて嫁さんに捨てられてるか生徒に手を出したのがバレてクビになっているか、それとも昔と変わらず生徒に暴力を振るってみたら問題になってクビになっているかは不明です。
しかし今の常識で考えたらとんでもない奴だったなぁ等と思います。

今でこそ、教師が元生徒と結婚したと聞けば「そう、あの教師、元生徒と結婚したの?卒業した後に町で偶然に再会して?ヘエ、ソウナンデスカ?ヨカタデスネ(棒読み)」といった100%ウソだと分かるお為ごかしがされるようになり、こちらも仕方ないのでこれが礼儀と言わんがばかりに奥歯にニラがガッツリ挟まったような話をするようにはなりましたが、昔は教師と生徒が結婚したなんて話いくらでも転がってましたからね。
やっぱり世の中って少しづつですけど確実に良くなっているんだと思います。

それでは今日はこの辺で