「劇場版 魔法少女まどか マギカ[新編]叛逆の物語」感想というか見ていて思ったこと「愛とは」

魔法少女まどか☆マギカ徒然日記
魔法少女まどか☆マギカ

この作品のテーマは「愛」だと思っているのですが考えてみると「愛」と一言で言うのは難しいものです。
困った時のGoogle先生ということで早速ググってみると
「愛」とは「そのものの価値を認め、強く引き付けられる気持」という回答を得ることに成功しました。
やはり今一よく分かりません。これを突き詰めていくとそれだけで本が一冊書ける程になるようですし、しかもうっかり実生活で口にすれば気持ち悪がられるのがオチであるという中々に厄介なテーマでもあります。
それが具体的にどういったものかを伝えることは出来ないので、まどかを愛しているであろうほむらの行動を追いかけることで多少は答えに近づけるのかもしれませんので続けて書いてみたいと思います。

悪魔となったほむらが改竄した世界では見慣れた見滝原の町が広がり円環の理からまどかを分離させて奪い取った際に巻き添えのような形で巻き込まれた魔法少女達がいます。巴まみは何かを忘れているのではないかという違和感を感じながらもその正体は分からずに学校への道を歩きます。べべも学校へと向かう途中なのでしょう。ランドセルを背負って無邪気に走り回ります。佐倉杏子は通学路の傍に立つ木の上に腰掛けてリンゴをかじり、それを落して周囲を飛ぶ鳥たちに分け与えるのですが、鳥の姿が醜く見えてしまうのは、それが自然のものではなく作為によるものだからでしょうか。
暁美ほむらは数多くの生徒が歩く道の真ん中でテーブルに腰かけてお茶を楽しみます。普通であれば道の真ん中にテーブルが置いてあれば、通行人は邪魔に感じるか稀有なものを見たと戸惑うかのどちらかだと思うのですが道を渡る人々は気にもせずに通り過ぎて行きます。

この光景はほむらが人の意識を操作して自分の姿を自由に消したり現したり出来る。詰りはこの世界が彼女の管理下にあることを示唆しているようです。

そのほむらに対して美樹さやかが円環の理の中にあった救済の力を奪ったと詰め寄ります。
それに対してほむらは奪ったものは円環の理の中のほんの断片に過ぎず人としての記憶だけを奪ったに過ぎないのだと否定します。

さやかはほむらに対して戦いすらも辞さないと威嚇しているのですがほむらは彼女に平然と歩み寄り普段は仲良くしようと無表情なままで科を作るように片頬に両手を合わせた甲の側を付け首を傾げて語り掛けます。
周囲に広がる影から人形たちがほむらにトマトを投げつける内の一つが頭に当たり、その果汁が滴ります。
尚もさやかは詰め寄ろうとするのですが、さやかは頭を押さえ戸惑います。嘗て円環の理の一部であったさやかの記憶さえもほむらの改竄対象の例外ではなく、やがて呆然と立ち尽くします。そのさやかの近くを通り掛かる上条恭介と志筑仁美が声を掛けます。さやかは動揺を隠し僅かな戸惑いを見せて軽い挨拶を交わすと逃げるように学校へと向かいます。

ほむらの作り出した世界はある意味で魔法少女達に人としての生を送る機会を再び与えている世界とも言えます。
べべのランドセルを背にして無邪気に学校への道を走る姿は、魔法少女になることと引き換えに失われた彼女がいくら望んでも得ることが出来なくなったものである筈です。そしてさやかも元の学生生活に戻ることが出来ました。その世界の中に於いても上条と仁美の恋が継続しているのはやや残酷なようにも思えるのですが二人の幸せを友人として望んだものが汲み取られてのものだと考えると救いのようでもあります。そして杏子との友情は同時に継続しており、さやかと杏子も人間としての生活を取り戻しつつあるようです。
その中でもほむらは一人であり、さやかがほむらに投げつけた言葉は確実に彼女を傷つけ無表情なれどトマトを頭に投げ付けられて滴る果汁は紛れもなく彼女が傷つき流す血であるのだろうと思います。
悪魔となったほむらが望むうえで優先順位の一位はあくまで鹿目まどかの救済であるとして、その為に付随する項目に過ぎないとしても他の魔法少女たちも同時に救済されています。その中にあってもほらむは誰にも感謝されず理解されることもなく一人で改竄した世界を眺める姿は相も変わらないどころか以前にも増して孤独です。そこには嘗て悪魔と自らを称しQべえにその高揚を抑えきれずにいた面影が失われている所に彼女の選んだ道の困難さが表れているように思えます。

そして魔法少女達の中で一人残るまどかです。
彼女は転校生として学校にやって来ました。
そのまどかを在校生として自分の座席から投げ掛ける目は胡乱です。これは自身に向けられたものでもあるのでしょうか。
転校生のまどかを校内の案内に連れ出しますが、その途中でまどかは自分が円環の理という大きな存在の一部であったことに気付き目覚めそうになります。それをほむらは無理矢理抑え付けるようにしてまどかを抱きしめ阻止します。その際に解けて落ちた黄色いりぼんの代わりにほむらは自分の付ける嘗てまどかから渡されたピンクのリボンでまどかの髪を結うと「やっぱり、あなたの方が似合うわね」そう言います。
そして問い掛けます。
「鹿目まどか、あなたはこの世界が尊いと思う?欲望よりも秩序を大切にしている?」その突然の問いに身を守るように腕を前に交差して間に置きながらも戸惑い答えます。「それは、えっと、その、私は尊いと思うよ。やっぱり自分勝手にルールを破るのってわるいことじゃないかな」予想していた答えだったのでしょう特に感情の動きも見せないまま「そう、なら、何れあなたは私の敵になるかもね。でも構わない。それでも私はあなたが幸せになれる世界を望むから」

りぼんが返されたのは象徴的なシーンです。ほむらは今まで自分の身の一部としていたりぼんを彼女に返しました。与えられたりぼんはある意味でほむらをまどかという存在に縛り付ける鎖であり二人の絆の証であり別れの印でした。それが今度はまどかが円環の理として目覚めることを抑え拘束し同時にほむらの決意の証としての役割へと変化したように思います。
以前の関係性で言えば、まどかはほむらを救済対象としていたのものが、現在はほむらが人としてのまどかを庇護しようと立場を入れ替えています。
皮肉なのは二人が断絶されて交わらないことは以前と変わらないという点でしょうか。

このシーンは円環の理と言う法則を破ったことで、人として切り離したまどかと反逆したほむらの二人の変化した力関係の中で向き合った瞬間とも言えるかもしれません。ほむらはまどかの意思に関わらず人としての生を送らせる為に実力行使も辞さないと決めています。
今まで魔法少女は円環の理に迎えられることで因果律から外れることを許されました。言い換えればそれは円環の理が存在することによって敷かれた秩序であるとも言えます。ほむらはそれに反乱することで円環から外れました。
円環の理は魔法少女たちが魔女へと変わることを防ぐ為に存在しており、言い換えれば魔法少女という存在を維持する為に存在しているとも言えます。詰り円環の理の持つ機能は魔法少女という存在の救済であり、維持が目的であるように思えます。
振り返ってみるとほむらは常に成長しその役割を変え続けて来ました。まどかから見ると初めは普通の少女として庇護対象であり、魔法少女へと変わることでやがて救済対象となり、やがて悪魔となることで対等な存在へと立ちました。
ほむらから見たまどかも同様に役割を変え続けて来ました。
初めは自分を守ってくれる憧憬の対象として、次は滅びへと向かう彼女を守る為に抑えつける対象、次に円環の理という手の届かない信仰の対象、そして神である彼女を貶め人として囲む者としました。

互いに関与し反発することで存在を高め合ってきたように見えます。

ほむらはまどかの為に常に成長し変化し続けて来ました。それは魔法少女という存在から外れることとなり円環の理を否定することとなり、最終的に反逆へと至ったと考えると、ほむらとまどかの役割は片方が片方を抑え、抑えられた側がそれを押し返す力を持って変わり続けて来たと考えると両者は互いに高め合ってきた関係とも言えるのだと思います。

何れにせよ暁美ほむらは自らを悪魔と称して神であるまどかと対峙すると宣言しました。
円環の理という神の存在から切り離した人間としてのまどかを守る為にです。

最後のエンディングシーンではスタッフロールを挟んでほむらとまどかの二人は別々に描かれますが、いつしか二人は合流して手を取り合い、その姿は徐々に小さくなっていきます。
やがてその姿は溶け合うように一つとなったように見えます。
これはハッピーエンドを暗示するものなのか、それとも彼女の願いの現れなのでしょうか?

エピローグでは切り立った崖の上に置いた椅子に誰かに寄り掛かるような格好で座り夜の街を見下ろすように眺めるほむらがいます。
その頭上には不自然に見えるほど真っ二つに割られた半円の月が浮かびます。
茂みからする音にほむらが気付き驚き振り返ると、そこには傷つきボロボロの姿へと成り果てたQべえがいます。
そのQべえの存在を捨て置き、ソウルジェムを浮かべ、それをパートナーにして一人踊るほむら。ソウルジェムを愛おしむように再び顔の近くに招き寄せて微笑みかけると身を投げるように丘の上から身を落します。Qべえはボロボロの姿でただ身を震わせますが、力尽き倒れた伏した瞳には漆黒の虚空が写し込まれるのみです。
ソウルジェムの中には人としてのまどかが閉じ込められている。愛する彼女をその傍にして、踊る。
決して二人が交わることはありません。

終幕の文字の後に閉じられる扉はピンクのリボンで封をされているようでした。
しかし、その結び目は蝶々結び、解くのも容易いのでしょうか。

ここまで書いていて思ったのは、彼女の気持ちは愛に似てるけどおそらく愛じゃない。
物語の結末として二人は決して相容れないものとなる。
神と悪魔と自ら対立する概念によって例えていることからもほむらが現状を理解していることを窺わせます。

まどかは円環の理となったことで概念となり、その救済は魔性少女達に満遍なく与えられていました。本来であればその対象の一つとしてほむらも救済される筈でした。
ほむらがまどかに求めていたものは友情なのか愛情なのかは別として言ってみればまどかにとって特別な存在となることです。しかし円環の理という現象の中の扱いでは他の魔法少女達と変わらない。それは決してまどかの特別ではない。
特別となるには先ずは円環の理から抜け出す事が必要になります。その為には円環の理を崩す力が必要になりますし、加えて円環の理という法則の中に含まれる人としてのまどかを切り離す必要があります。

劇場版の下巻のエピローグでほむらは禍々しくも大きな翼を広げていました。これは自分が大きな力を手にしている。少なくともその胎動は感じていたのではないでしょうか。しかし現象であるまどかを捕捉することが出来なかった。これについてはインキュベーターにまどかが円環の理となった経緯と魔女という彼等の目的であるエネルギー回収効率を上げる方法があることを仄めかして焚き付けることで利用し、遂には円環の理を捕捉することで接触に成功して人としてのまどかを奪取することに成功する。
まどかが神となることで作り出した法則を崩す。即ち叛逆することで母なる存在の庇護対象から外れることに成功し唯一彼女を貶め得る対等な存在として一つの個となることが出来た。
そこまでして初めてほむらはまどかに人の生を与えることが出来ました。

己の欲得という観点からするとほむらに利するものがあるようには思えません。
まどかの傍にいることを誰よりも望んだのはほむら。
しかしほむらとまどかは言ってみれば対立する概念となってしまった。
それは近くに居ながらにして決して二人が交わることがないということでもあります。
しかしほむらが孤独に佇む中、家族に囲まれたまどかは笑顔で過ごします。

ほむらは自らを犠牲にすることでまどかに幸せを与えようとしています。
憧れとして始まり、やがて友情となり、贖罪が生じ、やがてそれら全てが混ざり、愛として昇華された。それはともすると独善にも見えるのですが己を顧みず欲得を超えて相手に与える行為が愛であるということも出来るのでしょうか。
ある意味でそれは究極の欲望とも言えるのか。

うーん、どうもこの答えは人によって分かれそうな気がします。
やはり冒頭の答えは各人に委ねることにしたいと思います。
この先は各自、酒の席で戯れに話しても良いですし、
もしかしたら経験から答えを得る事になるのかもしれません。

以上にて終わらせて頂きます。

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