劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[前編] 始まりの物語を見た感想と言うか雑感

魔法少女まどか☆マギカ 徒然日記
魔法少女まどか☆マギカ

*今回は注意願います。

今回は劇場版魔法少女まどか☆マギカ「前篇はじまりの物語」を久しぶりに見返して感想というか思ったことを書いてみたいと思います。

改めて見返して先ず思ったのは、魔法少女まどか☆マギカやはり凄い作品だなという語彙の極端に少ない人のようなことを思いました。
初見こそキャラクタデザインに面喰ったものの気が付けば、それにも慣れ、寧ろ作品の世界観と照らし合わせて考えると、もっとリアル路線のデザインでは逆に見ていられなかったのではないかと思う程です。
そしてこの作品の魅力となっているのは物語の世界観の奥深さにあるのだろうと思います。
(この作品から魔法少女というのは酷い目に遭うものだという路線が作られたのではないかとも思いました)

魔法少女と魔女の関係

先ずは魔法少女についてです。
この世界の対立軸は魔法少女と魔女です。
魔法少女は願いから生まれ、魔女は呪いから生まれた存在です。
魔法少女が希望を振りまくように、魔女は絶望をまき散らします。
魔法少女は願いを叶える為にインキュベーターという地球外知的生命体であるキュゥべえと魔法少女となる契約を結び魔法少女となります。
そして彼女達が生きる生きるために魔力を消耗します。それを回復させる為には魔女を倒しグリフシードを手に入れなければなりません。
従って彼女たちは生涯に渡って魔女たちと戦い続けることが宿命づけられています。これは願いと言う奇跡を叶えることで現実を歪めた為に支払うべき対価であると彼女たちは理解しています。
彼女たちの魂であるソウルジェムはやがて色を変え、彼女たちを魔女へと変貌させます。当初、彼女達は魔法少女となる対価を魔女と戦うことであると考えますが、契約を結ぶインキュベーターの本当の狙いは魔法少女から魔女へと変わる際に生じるエネルギーを得ることであり彼女達が本当に支払うべき対価は魔女となることです。

では、彼女たちが今まで忌み嫌い戦ってきた魔女とはどのようなものなのでしょうか。
彼女たちは魔法少女となることで自身の魂をソウルジェムへと変えられています。
ソウルジェムはその色を段々と濁らせていき、それが極限に達した際に魔法少女は魔女へと変貌します。その濁りの度合いを物理的に表しています。
ソウルジェムは魔力の消耗、他にも彼女達が絶望したり憎むといった負の感情を抱くことでもその色を濁らせていきます。
濁りを取り除く為にはグリフシードが必要ですが、グリフシードを手に入れるには魔女を倒す必要があります。
彼女たちは生きているだけでも魔力を消耗していくため魔女を倒すことが宿命付けられています。
魔力による消耗と感情による消耗の二つの関係は精神的な病に対する精神疾患とその治療に例えられるかもしれません。
精神的な病に対して物理的な薬物などによって治療するだけでは治療が難しいケースが有ります。その病の原因が認識の相違によるものが起因しているのであればカウンセリングなどによって病となった原因の解明とそれに対する対処法を考えるか認識を正す必要があります。
例えば、
ブラック企業が魔法少女。
鬱病が魔女。
向精神薬をグリフシード。
以上のように置き換えてみます。
女性はブラック企業「魔法少女」に入社してしまいました。そのままだと鬱病「魔女」になってしまいます。それを避ける為に医療施設で向精神薬「グリフシード」の処方を受けますが、ブラック企業にいる限り鬱病「魔女」となる精神の進行は止められられず、いつか鬱病「魔女」となります。
ここで救いが無いのは彼女たちがブラック企業を退職することが出来ない点にあります。
よって魔法少女達はやがて物理的にグリフシードによる回復だけでは魂を濁らせることを防ぎ切ることが出来なくなるか、やがて魔法少女としての孤独が生きることを諦めさせるのか、もしくは世界を憎み始め、やがて魂は濁り切って魔女となります。それともしたら魔女に敗北して死ぬかの何れかです。そして作中において魔法少女として生涯を全う出来た人物は登場しません。

次に登場人物たちについて書いてみたいと思います。

巴まみについて

彼女は模範的な魔法少女であり、後輩となる鹿目まどか、美樹さやか、二人の良き先輩であり(これはインキュベーターにとっても)二人のメンターとしての役割を担い、最後に魔法少女が敗北するとどうなるのかを、その身を以て教えることで役割を終えます。
初め物語の中で彼女の役割は視聴者に魔法少女というものがどういうものであるのかを説明するものであるだと思っていたのですが何度か視聴することで多少ですが考えが変わりました。
彼女の契約理由は事故によって自分が助かることを願ってのものです。彼女が模範的に魔女たちから一般人を守る為に戦う理由というのは、いくら差し迫った状況の中であったとは言え家族を救済対象に含めることも出来たにも関わらず自分だけが助かってしまった。自分は家族を大切に思っておらず自分の事だけを考えていたのではないかと自問したのではないでしょうか。その罪悪感が突き動かしていた部分もあったのではないかと思っています。
そういった彼女の悔悟を完全に共有できる人物はおらず、魔法少女であるという活動についても他人と共有することは出来ません。故に彼女は孤独です。そのため彼女の悩みや不安の全てを共有できなくとも魔法少女であることを共有することの出来る仲間が出来ることを誰よりも喜んだのは彼女であったのではないでしょうか。
そして彼女の魔法はリボンです。これは物事を繋ぎ合わせようという彼女の役割を現したものでもあったのだろうと考えています。

美樹さやかについて

始めに名前を聞いた時はどっちが名前やねん!!と思ったものです。
彼女は幼馴染の上条恭介に恋をしています。彼は怪我によって入院しており彼女は入院している彼の病室に足繁く通っています。
彼女は魔法少女になるという選択肢を提示された際、契約を結ぶ為の願いが思い浮かばないと嘆きますが、上条恭介の怪我を治すとは口にしませんでした。これは彼が怪我をしたことによって自分が傍に居られることを意識的か、無意識的にせよ喜んでいた。そしてそれを自覚したのは入院している彼の葛藤を彼女がぶつけられた時なのだろうと思います。この時、彼女は彼を救う術を持ちながら行使しようとしなかった自分の気持ちに気が付いたのではないでしょうか。
結果、彼女は怪我の回復を願い、対価として魔法少女となります。彼女の願いは彼の怪我を治すことでした。しかし契約とは通常、取引にあたって交わされるものであり、取引ということは差し出したものに対して見合う、もしくは見合うと思われる対価が通常は得られるものです。
彼女は上條の怪我の回復を祈りましたが、本当に得たいと願うものは彼の気持ちを得ることであった筈です。しかし彼女はその願いと引き換えに人間では無くなり皮肉なことに彼を救うための決意は彼女の本当の願いを叶える資格の喪失によって遂げられたのでした。やがて彼女は願いの為に自ら差し出した大きすぎる対価と叶えられることのない祈りから自暴自棄へと追いやられ、偶然に居合わせたホスト二人が話す搾取対象である女性の話を聞き、その女性に自分を重ね、自分の行動が無為であるという認識へと至り呪いを生み出し始めます。
彼女のテーマは恋でしょうか。

佐倉杏子について

佐倉杏子について
彼女は父親の為に魔法少女となりました。彼女の願いは父親の説法に対して人々が耳を傾ける事。
その願いの甲斐あって父親の説法を聴く人々は増えて行きます。
彼女は父親を愛していたのでしょう。父親のなくなった今も彼女の胸を飾るソウルジェムは父親の胸を飾ったものと同じデザインであることからも窺えます。
ある日、父親は自分の娘が魔法少女となっていることを知り尚且つ娘が代償として捧げたものが自分のためであったことを知り、それを忌むべきものと捉え彼女の存在を否定し捧げられた祈りを否定し彼女一人を残しこの世を去りました。
彼女のエゴイズムは他者への祈りによって守るべきものを破滅へと導いたことに起因します。

彼女がリンゴを食べる場面が多くありますがキリスト教に於いてリンゴは禁断の果実とされ、それが為に手に入れようと欲望の対象されるものとされています。それを頻繁に齧る彼女は魔法少女という存在が禁断の果実であることを自覚してもいるのでしょう。
そう考えると彼女がさやかにリンゴを投げ渡し、その受け取りを拒むさやかの二人は対象的です。片や魔法少女という力が禁断のものであると知りながら受け入れ、もう片方はそれを拒む。魔法少女となった時点で、元の人間に戻ることはもはや許されません。その力を拒むということは生存を拒むことであり、この時点でさやかの行く道は破滅以外にはなかったと考えると中々に重要な場面であったのだと思います。

さやかの祈りも上条への恋心から生じたものですが結果として魔法少女になったことで自身は人ではなくなってしまい彼に見合う存在ではなくなってしまいました。
杏子の祈りも父親の為に行ったものでしたが、結果として父親の忌むべき存在へとその身を堕とすこととなり彼女を除く家族を連れて自殺してしまう。
二人の共通点は願いを捧げた対象との関係を結果として断たれた事です。
始めこそ彼女とさやかは対立しますが、やがて彼女は「魔法は徹頭徹尾、自分の為に使う」とさやかへアドバイスすら行います。それは嘗て家族の為に願いを使い破滅へと至った教訓、嘗て自分の求めた理想をさやかに重ねたように見えました。杏子は願った一連の出来事を自分が変化することで受け入れたのだろうと想像します。それに対してさやかは真正面から事実を受け入れようとします。その姿に杏子は自分の経験をアドバイスしたのだろうと思います。しかしこれは自分との同質化を求める行為のようにも見えるのですが、これをさやかは拒みました。杏子は魔法少女となった事実を多少のエゴイズムを生じさせることによって正当化することで自分の中に受け入れましたが、さやかはこれを真正面から受け止めようとしているようにも見えます。その姿に杏子は自身が嘗て辿ろうとした姿を見たのではないかと想像します。
そう考えると彼女がさやかを助けようとするのは自分が選ばなかった選択肢の結果を見ようとしているとも言えるのかもしれません。
そして、さやかが魔女化する際に友達を傷つけたことを後悔して「あたしって本当ばか」と最後に発せられた言葉は杏子に対しての後悔も含められた言葉でもあったのでしょう。
佐倉杏子のテーマは友情であると思いました。

理性と感情

印象に残ったシーンはまどかと母親が深夜に二人で話す場面での「間違えれば良い」という言葉です。
インキュベーターであるキュウべえは倫理的な問題はさておき一貫して彼等なりの論理で動いています。そのロジックは余りにも完璧で強固です。彼女たちがその思惑から外れる為には正しい選択ではなく間違えた選択をすることだけが彼等の思惑から外れることに繋がる。インキュベーターを理性の象徴とするなら、それを打破し得るのは感情であるということを示唆しているように思えました。

劇場版魔法少女まどか☆マギカ「前篇はじまりの物語」を見ていて、そんなことを思いました。
暁美ほむらと鹿目 まどかについては後篇を見て続きを書きたいと思います。
今回はこの辺で

劇場版 「魔法少女まどか☆マギカ[後編] 永遠の物語」の考察1