いじめを学校が解決しない理由

ひび割れたガラス
ひび割れたガラス

今までいじめを受けて自殺した生徒が出た場合に学校がマスコミなどに出す回答は、クラス内でいじめが起きている事実を把握しておらず気が付かなかった。もしくはいじめは起きていなかったというものが定型文であり、いじめ問題が大きくなった際に学校側の取る基本スタンスというのは隠蔽であるという印象を持っています。

いじめに関する報道は例を挙げれば枚挙に暇がありません。これはいじめを行う生徒の問題もあります。とは言え所詮は子供に過ぎず、それを正すために教師には解決の為の権限や権威が与えられていると思うのですが、いじめ問題が完全に解決される見込みはついていません。
なぜだろうと思ったのですが、考えてみれば教師にとっていじめを積極的に解決する理由自体が薄いのではないかと思ったので、その理由を書いてみます。

前提条件として学校運営を行うにあたって教師のマンパワーは足りていない中でいじめという問題が生じた際の教師の反応は性悪説に基づいています。

いじめの初期段階に対して各教師が起こす反応

いじめの起きているクラス担任以外の教師

忙しいので他のクラスのいじめについては見て見ぬ振りをします。

そうすれば余計な仕事は増えず下手に口出ししなければ担任教師と諍いが生じてしまう恐れもありません。

 

管理側の校長や教頭

いじめ問題について担任教師が相談してきたら一般論を適当に述べて自分で解決しろと伝えるか、それでも食い下がってくるなら君の評価に関わるとでも暗に脅してなかったことにして自分は話を聞かなかった振りをします。加えて口頭での相談という形であれば議事録といった証跡も残らないので後にそのことで責任を問われることもありません。
後は担任教師がどうにかしてくれる筈です。

 

担任教師

先ずは見て見ぬ振りです。時間が解決してくれれば万事問題なしです。
時間が解決してくれなかった場合は自分が教師として受け持つクラス内でいじめが行われていることが周囲に知れ渡れば自分の評価に関わるので先ずは自分一人で解決しようと考えます。
先ずは口先で軽く注意です。本格的に注意してしまうといじめが起きていることを教師が認識していることになってしまうので、生徒間でじゃれあっているのかと思った等と言い訳する余地を残す必要があるからです。
これで上手く収まってくれるか自分の担任クラスにいる間は完全な水面下に潜ってくれるようになれば自分の評価が落ちることもありません。
全て解決です。

いじめが解決出来なかった場合

いじめは担任教師にとって時限的な問題である

いじめ問題を放置します。
こういった反応を教師が取るのは生徒はある程度の時間が経つと自動的に入れ替わるからです。
いじめを受けた生徒は卒業するか次のクラス替えで担任教師の手を離れるという流れを考えると教師にとっていじめ問題というのは時限的に解決されるものであることが分かります。
クラス替えの場合は再び同じ生徒を受け持つ可能性があるにせよ、クラス替えの多くは教師の事情によって行われるので素知らぬ顔をして他の教師に押し付けてしまえば良い。それが出来ず自分がそのまま引き継ぐことになったとしても、いじめられている生徒といじめていると認識している生徒を離したことで解決している可能性だってある。

これは言い換えれば爆発寸前の爆弾を押し付け合っているようなものなのですが、教師にとって最悪なのは運悪く自分がクラス担任として受け持っているタイミングでいじめの被害を受けていた生徒が自殺した等により報道されて責任を問われる事態となった場合です。

いじめが問題が事件化した場合

以降、主に問題解決にあたっての受け持ちは担任から管理職である校長や教頭、学年主任等にフェーズが移ります。
管理責任を問われる人間にとっても最善の対処方法は隠蔽です。

学校という組織を守らなくてはならない

いじめによって自殺者が出た場合に学校側は思う筈です。
今回の事件はたまたま大きくなってしまった防ぐことの出来ない事故である。
従って今回の事件については学校側も被害者である。
そのため自分たち学校側の組織を守らなければならない。
よって学校は自分たちに非があることを認めないという方針を取る事が決められます。教師が非を認めてしまうと学校全体の問題が問われ管理職側もその責任を問われることになってしまう。
以降、管理職側は自分の保身に最大限の努力を払うようになります。この事件に関して管理職が非を認めるということはイコール学校組織の問題を認めることになるからです。

 

問題は無かったことにすれば良い

どうすれば良いか?
人の心は複雑です。外から見ているだけでは決して分からないこともあります。
従って学校側にとっていじめ被害を受けていた生徒が自殺したベストの理由は、いじめではなく生徒個人の抱える不可解な心の問題によって自殺したというものです。
そうれば学校側の組織を無事に守ることが出来、管理者も責任を問われること無く担任の教師にも責任は生じません。いじめをしていた生徒達に対して面倒な指導を行う必要もありません。結果として学校側の人間は誰も傷つかずに済みます。
いじめという問題自体が存在しないことになったからです。

 

問題を無かったことに出来なかった場合

セカンドベストは、いじめが生徒達の手によって隠蔽されていた為に気が付かなかったです。
これは周囲の証言などによって生徒がいじめを受けていたという証言などにより、いじめを無かったことに出来なかった場合に取られます。

学校側は担任教師の力が不足していて隠されていたいじめを見抜くことが出来なかった。
教師達はいじめられていた生徒を助けたかったが手の出しようが無かった。
このロジックを成立させることが出来れば学校という組織としての問題から属人的な問題に矮小化させることになり学校組織としての問題を問われるリスクからは逃れることが出来ます。

いじめが巧妙に隠蔽されていた為に解決することが出来なかったのですから仕方ありませんよ。学校はいじめが起きていることを把握することさえ出来ていれば生徒を救えたのです。
おめでとうございます。
学校という組織としての問題は無かったことになりました。

以上のように世論を誘導出来れば起きてしまった問題をいじめていた生徒達の邪悪さと担任教師の力が至らなかったということに対して全ての責任を押し付ければ良い。処罰を受ける教師も生徒達のいじめの隠蔽が巧妙で騙されてしまったという姿勢を示せば、人事評価の失点は免れないでしょうが教師の職を奪われることまではありませんし、例え良心の呵責から本当のことを公表しようと考えても管理職側から担任教師に対して「残念だが今回の事件はいじめが起きていることを見抜けなかった君の能力の至らなさも原因となっている。だから再教育を行う。但しこれを受ければ教育現場に戻れるようになっているから頑張って欲しい」とでも伝えれば、担任教師はこのまま口を閉ざしていれば全ての問題は解決されことになります。こうすれば担任教師は事実を漏らすより隠蔽した方が自分にとってのメリットが大きくなると認識しますので世間に真実が暴露される可能性は無くなります。
結果、いじめは水面下で行われていたことになり学校組織は正常に運営されているとなります。

今回の事件はあくまで例外的なエラーであったとして扱えます。

学校側にとって最悪の事態

いじめが起きていることを教師達が知っており、その問題を放置していたことが露呈した場合

次に学校側にとって最悪の事態を考えてみます。

いじめについて被害を受けていた生徒の親から学校側に相談が行われ、いじめ自体も隠すことなく行われており、それを見ていた他の生徒も教師達も知っており且ついじめ問題が学校で広く共有されていたことが世間に露呈した。

この場合は問題を知りながら放置していた教師の責任は言うに及ばず管理側の責任も問われることになり、事件は学校という学校全体の問題として扱われることになります。
当然、関わっていた教師と管理者には処罰が下されます。将来の出世コースが閉ざされるのは当然として、下手をしたら教師という職を失う可能性すらありますが大抵は現場から離れた閑職に回され事件の詳細を語らないことを暗黙の条件として生活するのに困らない程度の給与を与えられて飼い殺しにされるといった所に落ち着くのではないでしょうか。
それはこの後も学校側と責任を問う側との間で主張のせめぎ合いを行って被害者側の主張を押し返すことで被害を最小限にする作業が残っているからです。
つまりは学校側、ここでは教育委員会になりますかね?事件の起きた学校側がいじめが起きたということを隠蔽することで管理職と教師に事件を隠蔽するインセンティブが生じるようにする必要があるからです。

 

これの思い浮かぶ例としては以前に大津市中2いじめ自殺事件の際にマスコミの取材に対して担任教師が鼻唄を歌ってやり過ごした姿が問題になったことがありました。彼の鼻唄という行動は問題でしたが学校という組織の秘密は守り抜いたのですから将来的に出世して表舞台に立つことは出来なくなったとはいえ秘密を守ることを条件に教育委員会などに守られ腫れ物として扱われながら今では安泰に暮らしているのではないでしょうか。

 

教師はサラリーマンである

なんだか書いていて胸がむかついてきたのですが、これは教師が決して聖職者ではなく単なる公務員という一個人に過ぎないと分かれば、これが一般の人間と教師達との間に生じているいじめという問題の認識の相違の表れであることが分かります。

 

一般人が抱くいじめ問題に取り組む教師のイメージ
・教師は聖職者なので自ら率先していじめ問題解決に取り組んでくれる

教師のいじめ問題に対する認識
・いじめの完全な解決は難しく手間が掛かる
・いじめは先送り可能な問題である

結論として

以上のように考えると現状でいじめ問題が解決されるのは担任教師が問題解決に積極的に取り組むかどうかに掛かっており、それは教師の人格面に依存する部分が大きく、且つ解決されるかどうは担任の能力内で納まるレベルに限られており、その範疇からはみ出てしまう場合に於いて解決される見込みは薄い。

つまりはいじめが解決するかどうかは教師個人に委ねられてしまう部分が大きい。

これに教師個人ではなく学校という組織の問題として継続して取り組むことが出来なければ今後も解決される見込みは薄いのだろうと思いました。

 

それでは今回はこの辺で

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作成者: 悲しい笑い

ブラック企業を渡り歩き、どさくさに紛れて営業のマネジメントや新規事業の立ち上げをやったりしていました。